「写ルンです」と思い出の心霊写真

ここに1枚の心霊写真があります。

これは僕が高校生の頃、僕の自宅で撮影されたものです。
当時、僕の家は友達の溜まり場と化していました。

ゴリゴリにソリコミが入り、眉毛がないヤツ。
やたら歌が上手くて女の子にめちゃくちゃモテる今井翼似のイケメン。
その彼女のなんかめっちゃエロい体と顔した女の子。
その友達の、永遠にじゃがりこをかじり続けるジャガラーの女の子。
ムッツリスケベのくせにイケメンのベーシスト。
ゆずが好きな若干シャクレてる面長のやつ。

そんなメンツがたびたび絶望的な非モテキモメンの僕の家に集まり、ただただダラダラとしたり、全く麻雀がわからない僕を尻目に麻雀大会を繰り広げたりと酒池肉林の宴会を開催していました。

そんな堕落した日々の中、何気なく撮影された写真の1枚がこの心霊写真でした。

当時といえば、やっとガラケーが普及し、高校生でも携帯電話が持てるようになった頃。
今では考えられないかも知れませんが、携帯電話にカメラって付いていなかったんですよ。

今ではスマホが普及し、信じられない高画質の写真を誰でも撮影ができ、いつでも撮ったその瞬間に写真を確認することができます。

しかし当時のガラケーってのは本当に電話とメールのみ。
ビジネスマンかなってレベルの最低限の機能だけでした。

当然デジカメなんかもまだ全然普及していなくて、超高級品のため高校生に手が出せるものではありません。

そのため、僕らが写真を撮るといえば専ら「写ルンです」でした。
スーパーなんかで売っている、1,000円くらいの「写ルンです」。
これが僕らの記録媒体でした。

最近のジャリガキのために説明をしますと、「写ルンです」とは富士フィルムにより販売されているレンズ付きフィルムカメラのことです。

一般に「使い捨てカメラ」とも呼ばれるこの製品は、フィルム上限である30枚とか50枚の写真を撮り終えるともう使うことができず、捨てるしかありません。
これが「使い捨てカメラ」の所以ですね。

この商品が使用している写真フィルムは、映像を感光剤の化学反応を利用して記録するメディアです。フィルムを実像に露出して感光させ、潜像を生成した後に現像・定着・焼き付けという工程を経て「写真」というものを作ります。
ジャリガキ共には何を言ってるのかさっぱりわからないことでしょう。うん、僕も何言ってるのかさっぱりわかりません。

まあ簡潔にいうと、30枚とか上限まで撮影が終わった「写ルンです」を写真屋さんへ持ち込み、1〜2日間待ち、幾ばくかの金銭を支払うことで現像して写真をもらうことができる、というシステムになるわけです。

この現像が終わった写真を受け取り、家で眺めるというのはなんともいえないドキドキ感があるんです。

普通、30枚とかを1日で撮影しきるってのはそうそうないわけです。

やたら高い声で「ハッハー」とか言いながらバシバシ写真を撮りまくるなんてことはしないわけです。こっちは林家パー子師匠じゃないわけです。
なので、30枚写真を撮るとなると、何日かを要することになります。

「写ルンです」を買って何枚か写真を撮り、存在を忘れかけた頃に「そういえば使いかけの『写ルンです』があったよな」とガサガサ探し回るってこともザラなわけです。

例えば旅行に「写ルンです」を持って行き、「よーし、パパ写真撮りまくっちゃうぞー」とここぞとばかりにブリンブリンと、ワンチャン1日で30枚写真を撮りきったとしても、写真屋さんに現像を依頼するのは旅先から帰ってきた後です。

そうすると、「どんなタイミングでどんな写真を撮ったのか」ということが曖昧になるんです。

どんな写真を撮ったのかほとんどわからない状態で「写ルンです」を写真屋さんに出し、出来上がった思い出を受け取る。
家に帰り、ドキドキワクワクしながら写真を取り出す。
そして「こんな場所へ行っていたなあ」「そういえばこんなことしていたなあ」「こんな写真撮ったっけ」と忘れかけていた思い出に浸る。

これが「写ルンです」の醍醐味になるわけです。

そんな「写ルンです」で撮影した写真たちの中に、それはありました。

場所は僕の家で、押し入れをバックにソリコミとボーカル、その彼女が楽しそうにこちらにピースサインをしています。
一見するとただの微笑ましいヤンキーの会合なんですが、何か違和感があります
不自然な光の中に、「そいつ」は写り込んでいました。

押入れのふすまに、指でぼかしたような楕円形の光。
その楕円形の光をよく見ると、斜めにこちらを見ている男性の横顔に見えるんです。

当然友達の顔ではあり得ません。
こんな写り込み方を習得している友達がいたら、5,000円くらい払ってもいいからこの写り方を教えてもらう。それくらい人間には不可能な写り方です。

人間には不可能な写真の写り方をしている。つまり、人間以外のモノが写り込んでいる。
「写ルンです」ってそういう意味かよ。

富士フィルムに怒られそうな言い方をしてしまうほど、それは間違いなく「心霊写真」というものでした。

当時僕たちは、ことあるごとに集合し、ことあるごとにオカルトビデオの上映会をするという遊びにハマっていました。
「本当にあった呪いのビデオ」とか「呪いの心霊写真集」とか、そういったものを見つつ「おわかり頂けただろうか」とかいうあのフレーズを真似してキャッキャとハシャいでいました。

特に僕は、心霊動画を紹介した後のナレーションである
「……とでも、言うのだろうか」
というフレーズにどハマりし、このフレーズが流れる度に爆笑していました。

あれって「成仏できない霊魂がこの地を彷徨っている」とか、さも霊についてよく知っていますよ的なフレーズを言った後に「いや、やっぱ言い切れないわ」「断言するとクレームくるかもしれないわ」みたいな雰囲気で「……とでも、言うのだろうか」って言うんですよね。

結局こいつ自信ないんじゃんっていう。
ていうか、「……とでも、いうのだろうか」って言っておけばなんだってアリじゃん。
適当なこと言いまくりじゃん。
「明日、マグニチュード8の地震が関東を襲う! ……とでも、言うのだろうか」とかも言えちゃうじゃん。

その徹底的な逃げの姿勢が面白くて仕方なかったんですよ。
清々しいまでの責任逃れのスタンスが大好きだったんです。

そんな心霊オカルトにハマっていた僕らが、まさか! 心霊写真を撮った!

もうね、熱気は最高潮ですよ。

「本当に心霊写真なのか」
「光の加減じゃないのか」
「いや、これは間違いなく心霊写真だ」
「呪いのビデオとか見まくっていたから霊を呼び寄せてしまったんだ」
「心霊写真だから呪われてしまう」
「麻雀で負けたのはこいつのせいだ」
「この時鍋食ってたからその湯気じゃね?」
「心霊写真だから呪われてしまう」
「また鍋しようぜ」
「うちのカーチャンが白菜持って行けって」
「また麻雀やろうぜ」
「じゃあ次の金曜に鍋と麻雀ね」
「呪われてしまう」

とかいう阿鼻叫喚の様相を呈していました。

ていうか呪われてしまうとか気軽に言うんじゃないって話なんですよ。
撮影現場は僕の家なんだよって話なんですよ。
本当にあった怖い話に投稿してやろうかって話になるんですよ。

一応、マジで呪われたら嫌だからってことで、イケメンベーシストのお父さんが霊感があるらしいので、そのお父さんに鑑定してもらうことになりました。

そのお父さん曰く「あまりに楽しそうだったから通りかかった霊が写り込んだだけだよ。害はない」とのこと。
その一言に僕らは安堵し、その金曜に鍋と麻雀を楽しんだものです。

ていうか実際極悪の霊魂が写り込んでたとしても、息子の友人宅で撮った写真に「こいつぁ地獄だぜ! 二度と見れたもんじゃねえ!!」とか言えないっすよね。「害はない」って言うしかない。「害はない……とでも、言うのだろうか」って言うしかない。あ、これダメなフラグじゃん。

まあその後、呪いかどうかはわかりませんが、僕はソリコミのやつに眉毛を全剃りされたり、絶望的に非モテだったりしたわけです。呪いかどうかはわかりませんが。

しかしですね、呪いの心霊写真って何なんだって話なんですよ。
呪いの発動はいつからなんだって話なんですよ。
現像された瞬間なのかってことですよ。

よく、「足が写っていない写真が撮れてしまった。その後事故に遭い足に大怪我をした」とかいう話があるじゃないですか。
でも当時、上にも書いたように写真を見るには現像という工程が不可欠だったわけです。
例えば「写ルンです」で心霊写真が撮れていたとして、あの当時って「写ルンです」を使い切るのに普通に半年とかかかってたわけですよ。
「写ルンです」を使い始めた頃に足のない写真が撮れていたとして、現像までの半年間、写り込んだ霊はその間ずっと待ってたんかってわけです。
半年間、今か今かと現像の時を待っていたんかって話なんです。

なんだ、その間霊はずっと「写ルンです」に張り込んでたんか。
持ち場とかあるんちゃうんか。

「ここで交通事故に遭って亡くなり、地縛霊となった霊が写ってます。こいつの呪いです」とかよく言ってましたけど、全然自縛じゃねえじゃねえかと。
自縛先から呪いに出張してるじゃねえかと。

東京の人が鹿児島に旅行に行った先で、地縛霊が写り込んじゃったりしたらもう大変ですよ。
東京の「写ルンです」の様子も気になるけど、鹿児島で自縛しなきゃいけないから持ち場も離れられない。
東京でいつ現像されるかわからないし、鹿児島の現場でいつ写真撮影されるかもわからない。
どうしたらいいの! って話なんですよ。

そう考えると、霊サイドからすると写真で呪うってのは完全にコスパ悪いっすよね。
心霊スポットでシャッターが押せなくなるとかよく聞きますけど、これ絶対霊が写りたくないからですよ。
「やべえ今写真撮られたら写り込んじゃう。危ねえちょっとやめて写真とかやめて」ってなりますよ。
「写ルンです」は霊にとって、もはや凶器に等しいものですわ。
撮られたら最後ですわ。
撮られたら魂抜かれるとかそういう噂になってますわ、霊の界隈で。
真ん中で写ると魂抜かれるとかそういう話になってますわ。

さて、そんなわけで今回は「写ルンです」で撮れた、思い出の心霊写真について話をしてきました。

今日では、スマホやデジカメの普及によって、撮影したその場ですぐに写真を確認することができます。
これは思い出をすぐにシェアできますし、確かに便利です。

しかし「何が撮れているかわからない」という、いわば「思い出のタイムカプセル」が当時の「写ルンです」でした。
タイムカプセルを開けるかのように、現像から上がってきた写真を友達や家族とドキドキワイワイしながら思い出と共に振り返る。

確かに「写ルンです」は不便です。
手軽ではありますが、露出の設定やズーム機能など何もなく、ただただ覗き窓を覗き込み、シャッターを押すだけ。
回数制限もありますし、現像に時間もお金もかかります。

しかし、何事にも便利さや効率を求められるこの時代だからこそ、少し不便なこんな写真のあり方も良いのかなと思います。

たまにはあの頃のように、「写ルンです」で思い出のタイムカプセルを作ってみませんか?

 


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