【ブログ書かない】クズブロガーの1日

こんにちは、たくろうです。

  • PVなし
  • 良質な記事なし
  • やる気なし

なしなし3拍子のそろった、自他ともに認めるクズブロガー。

そんな僕の「クズブロガーの休日」をお送りします。

みんな、こんなブロガーになってはいけないよ。

朝起きるのは10時


デキるブロガーは午前中、特に朝4~5時台という時間帯から起床し、ブログを執筆しています。

ツイートしている通り、時間の意識がめちゃくちゃ高いのでしょう。

朝4時から起きて作業をするのであれば、午前中だけで実に8時間もブログを執筆する時間が確保されます。
しかも本当かどうか知りませんが、ヒトは午前中が最も集中力を持って作業をすることができるのだとか。

しっかり集中した状態で記事を書くことによって、良質な記事が執筆できるということですね。

さすがです。

しかしクズブロガーである僕は、10時の起床。

デキるブロガーが既に6時間作業をやり終えたところでようやく目を覚まします。

しかも目を覚ましたからといって、遅れを取り戻さんばかりにギラついて作業をするのかと言えばそんなわけはなく。

起きたらまず、マドハンドみたいになりながらスマホを眺めます。

だるいなあ。
ねむいなあ。
やる気しないなあ。

そんな負のオーラを惜しみなく出しつつ、スマホでネットを眺めます。

そしてゴミ収集車が来るか来ないか。
そのギリギリの時間まで布団の中で粘ります。

うちは2つの町内会の境界に面していて、それぞれの区域によって収集車が違うので、家の前を収集車が2回通ることになるんです。
そして必ず早い方、遅い方がありまして、僕の区域のほうは遅い方なんですよ。

そんで、その別の区域の早い方の収集車はラジオ体操のようなゴキゲンなチューンを流しながら収集しにくるので、家にいながらにして「来たな……!」というのがわかるんです。

底抜けに明るいミュージックが聴こえてくるかこないか。
そのギリギリまで布団の中で粘ります。

そして音楽が聴こえてくると当時に大急ぎで飛び起き、家のゴミをまとめ、既に収集され始めている他の区域のゴミを横目にしながら自分の区域のゴミ捨て場にゴミを捨てに行きます。

特に燃えるゴミの日の朝、生ゴミを処理しきれていない時なんかはやはり焦りますね。
必死になって流し台のゴミネットを取り替え、冷蔵庫にある悪くなった食品チェックを行います。

少しの遅れが命取りになる。
ヒリついたゴミ収集車との攻防です。

いかがですか。
これが僕のモーニングルーティンです。

とりあえずタバコを吸う

そしてやっとブログを始めるのかと思いきや、そうはいかない。
僕はそんなに意識が高くない。

まずはタバコを吸います。

このコロナウイルスが蔓延し、健康増進のために喫煙所規制が進んでいるご時世にも関わらず、ゴリゴリにタバコを吸います。

この時点でも、全然頭が回ってない。
体が凄いだるい。
やる気しない。

虚ろな顔で燻製器みたいに口から鼻から煙を出します。

タバコ吸うならやっぱりコーヒーだよね! ってことでお湯を沸かし、その間にタバコを吸い、コーヒーを入れて、そのコーヒーとともにタバコを吸う。

まさしくヤニカス。
完膚なきまでにヤニカス。

そこまでやってようやく顔を洗います。

パソコンの前に鎮座する

さて、いよいよパソコンの前に座ります。

僕はパソコンまで意識が低いので未だにWindows7。
ドスパラとかにアクセスすると

「ねえ、君のパソコンサポート切れのWindows7だけど何考えてるの? 2020年1月14日にサポート切れてるんですけど? セキュリティリスク高いんですけどわかってます? なんなの?何考えてるの? 考えてないの? バカなの? キモいんですけど? Windows10に買い替えなよ。え? 金ないの? もう帰ってくれない?」

みたいな注意喚起の黄色いポップアップがバチンとお出迎えしてくれるほどに意識が低いパソコンを起動します。

もうこれはブログ書くでしょ。

ブロガーがパソコンの前に座ってやることって言ったらもうひとつでしょ。
ブログ書くでしょ。

そう思いますよね?

しかし、歴代のブロガーが言うように「ブログとはパソコンの前で作るものではない」のです。

日々の生活の中でブログ記事のネタを集め、スキマ時間に構成を考え、パソコン前に座った時、それはすなわちブログを「書く時」なのです。

僕はクズの名をほしいままにするクズブロガー。

記事ネタ、構成が済んでいるとお思いか?

ガッツリゲームをする

そんなわけで、おもむろに起動するのは「スカイリム」

このゲームは2011年にリリースされ、オープンワールドゲームの最高峰と謳われています。
僕が購入したのは2015年。
実に5年間遊び続けているわけです。
しかも未だにラスボス的な扱いの敵を1度も倒したことがない。

難しくて倒していないというわけではありません。
このゲームはやれることが多すぎて寄り道しまくってしまうんです。

そして寄り道していると新しくキャラクターを作ってまた違うことをやりたくなり、違うことをやっているとまた新しいキャラクターを作りたくなる。

その繰り返し。

もはやキチガイとしか思えない。
仏教の話みたいになってくる。
輪廻転生か賽の河原かみたいなことになってくる。

気づいたらまたオークで新しいキャラ作ってる。

気づいたら夜の7時

ふと意識を取り戻すと、そこには薄暗くなった部屋でPCに照らされている僕と、無情にも1日が終わったことを示す時計があるだけ。

何もしていない。

バブルスライムみたいになってゲームしているだけで1日が終わった。

家の掃除もしていないし、洗濯もしていないし、なんならご飯も食べてない。
ご飯っていうかバーム―クーヘン食べた。

あとはタバコ吸ってコーヒー飲んでゲームしていただけ。

すごくないですか。
1日やったことが

  • タバコ吸った
  • トイレ行った
  • バームクーヘン食べた
  • ゲームした

これだけですよ。
4種類っすよ、4種類。

旅に出たばかりの勇者の戦闘コマンドみたい。

  • たたかう
  • どうぐ
  • まほう
  • にげる

マジでちょうどだった。

あっ、あーー!
あったあった!
ゴミ捨てしました! ゴミ捨て!

あっ! あと歯磨いて顔洗った!

虚ろな目で結局ブログ書いてる

まあ19時になった段階でね、迷ったんですよ。

もうこれ、酒飲んじゃおうかなって。

ちょうど今日はチャーシューを作る予定だから料理に時間がかかるし、もう料理始めようかな。
料理始めるってことはもう酒飲むってことだもんな。
始めちゃおうかな。

でも、流石に今日何してたのって思い返した時に「バブルスライムみたいになって7時間ゲームコントローラー握ってました」ってどうなのよって話なんですよね。
転生したらスライムだった件より絶望的じゃないですか。
転生してないのにスライムじゃないですか、こっちは。

こりゃあダメですよ。
ちょっと何でもいいからブログ書いてみようかなと。
書かなきゃまずいかなと。

ブログが辛いならブログから離れてみるという意見

よく「ブログが辛いならブログから離れてみるのもアリ」というお話を聞きます。

辛いんだったら一旦休んでもいいんだよ。
書きたくなったらまた書けばいいんだよ。
ブログはいつだって再開できるんだから。

この意見は、至極ごもっともだと思います。

僕は文章というのは、熱量が籠もるとより良い文章になると考えています。
やる気がみなぎっていたり、伝えたいことがあったり、ものすごく楽しんで書いた文章というのは、そのテンションが読み手にも伝わるんですよね。

だから、グイグイ引き込まれたり、読んでいて楽しい文章だったりするわけです。

逆に「辛い」「苦しい」「楽しくない」という気持ちで書くと、そのテンションも読み手に伝わるということなんです。
「なんかこう、パッとしないなあ」と思われてしまう。

そうするともう書いても書いても、書く方も読む方も得をしないという負のスパイラルに陥るわけです。

そうなるくらいなら「一旦ブログ離れてみても良いんじゃない?」となりますよね。

そもそもクズブロガーはある程度ブログから離れてる

しかし侮るなかれ、クズブロガーはクズなので、もう既にある程度ブログと距離を置いているわけです。

具体的には週1回くらいしか更新しないくらいにブログから離れているんです。

そんな状態でブログから更に離れる?
おいおい、もう見えなくなっちゃうよ。
メガネ掛けてても見えなくなっちゃうよ。

これ以上離れたら、これはもう距離を置くとかではなく別れになってしまう。

そもそも遠距離のカップルが

「冷静になるために一旦距離をおこう」

とか言い出したら、もうその先に何があるかって大体わかるじゃないっすか。

片方が「うん、わかった。ずっと待ってる」とか言ったって、結局ずっとなんか待ってないじゃないですか。

同じ大学のサークルの先輩とかの家に行ったりしてるじゃないですか。

そんで結局自然消滅じゃないっすか。

そういうことですよ。
僕とブログの距離感もそういうことなんです。

これ以上距離を開けて、ブログちゃんが「わかった。ずっと待ってる」って言ってくれたとしたって、結局そのうちサーバー代の支払い忘れたとかで自然消滅待ったなしですよ。

そういうことなんです。

これ以上離れちゃダメ。ゼッタイ。

「書きたいことを書くな」はクソくらえ

これ以上ブログちゃんと距離をあけるのはまずい。
でも書くことがない。

そんな時に僕らを悩ませるのは、先人ブロガーの「書きたいことを書くな」という文言です。

これに付随して「読者の検索意図を満たせ」という言葉もありますね。

つまり彼らは

「ただのどこにでもいる一般市民の日記なんて誰が読むんですかあ?」「あなたの日記なんて読んで、誰が得するんですかあ?」

と言っているわけです。

「確かに僕の日記なんて誰が読むんだろう。ていうかまず検索にかからないわ」「検索に引っかからない=誰も求めていない=役に立たないクソ記事だわ」

「クソ記事が増えるとブログ自体の評価が下がるらしい」

「これはまずい」

自然、こう考えてしまいますよね。

うん、大正解です。

例えば僕のこんな日記なんて読んでも、誰も特をしません。
ていうか誰も読みません。
検索に引っかかりません。
アクセスのない記事なのでGoogleの評価はもらえません。
なのでクソ記事となり、ブログ自体の評価が下がります。

しかし、僕は「書きたいことを書くな」論はクソであると考えます。

というのも、書きたいことを書くということは文章に一番熱量が籠もると思っているからです。

そりゃそうですよね。
書きたいことを書いているんですから、テンションあがりますわ。
そうすると自然と文章にも熱量が籠もりますわ。

そうするとその日記は

「内容は別にどうでもいいけど、なんか面白い」

という、文章自体に価値が生まれるんですよね。

記事の内容や検索意図といった「情報」についてではなく、「あなたが書いた文章」に価値が付随してくるんです。

経験ありませんか?
「ふらふらーっとネットサーフィンしているとき、ふと目に付いた記事を何気なく読んでみたら案外面白かった」ということ。

そりゃ検索上位の方が読まれる可能性は高いですし、Googleも認めた記事なので価値もあります。
しかし、検索下位でも読んでさえ貰えれば面白い記事というのはたくさんあると思うんです。

というか、日記だからこそ面白いブロガーというのも存在していると思うんです。

ブログ書くこと無い!
ブログ書けない!

そんなときは、今考えていることをそのままにタイピングしまくって、熱量のこもった日記を書くというのも全然良いと思うんです。
「書きたいことを書くな!」に縛られる必要は全く無いと思うんです。

その時の感情や思いの丈をぶちかましてやりましょうよ。
たまには思う存分好きなこと書き散らかしてやりましょうよ。

いいんですよ。
誰も得しなくったって。
そもそも損得だけで考えるって時点でなんかイヤ。
打算的。野蛮。

あなたが価値がないと思っていたって、誰かが読んで、誰かが価値を感じるかもしれないんですから。

はい、これ全部、今の僕を正当化しているだけの言い訳です。
クズです。

なんかタイピングの仕方忘れそうだからとりあえず書くか

というか僕の場合なんですけど、あまりに文字を書くという作業から離れてしまうと、マジで書けなくなるような気がするんですよね。

退化していくというか、書き方がよくわからなくなるような気がしてしまうんです。
ていうか今も何言ってるかよくわからない感じです。
伝わってる? この想い。

だからもう、とりあえず書こうかなと。
タイトルなんて何でもいいよ。
クズブロガーですからクズブロガーの1日とか言って、なんか今日1日中マジでクズでしたって話でもいいよ。
でもいいよっていうかそれくらいしか書くこと無いよ。

検索? されないだろうよ。
でもまあ、適当にツイートとかしとけば2人くらい読んでくれたりするんじゃないかな。
SNSで拡散!
ワオ、カッコイイ!
ダメかな。

でも、もはや書くってことにある程度価値があるからね。
トレーニングみたいなものだから。
自分の頭の中のよくわからない情報を言語化するっていう、そういうことだから。

クズブロガーの書いたクズ記事。

いつか誰か、検索で読んでくれたりするのかな。

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日記

Posted by たくろう