アクタージュはすべての日記ブロガーを勇気づけてくれる
現代は大SNS時代。
ブログ、インスタグラム、ツイッター、ピクシブ……。
これらのSNSをひとつもやっていない人はいないんじゃないかと思えるほど、誰しもがSNSを利用しています。
かくいう僕も御多分に漏れず、こうしてブログを書いています。
はるか以前の昔々、僕がインターネットで文章を書き出したのは、隆盛を誇ったテキストサイトが終焉を迎える頃。
その頃のテキストサイトは、面白さがそのまま価値でした。
日々の出来事や自分の思想や考えをどれだけ面白く表現できるか。
どれだけ面白い文章を書けるか。
そういった熱い情熱を込めたテキストサイトたちを目の当たりにし、自分もやってみたいと思ったことをきっかけとして、当時テキストサイトを開設しました。
え?PV?
2ですね。
PV2/日。
全部僕ですね。言わせないで。
そんな時代から月日は流れ、当時のサイトとは別のこのブログを開設し、こうして文章を書いています。
現在では「面白いテキストを書く」というよりも、「ブログで金を稼ぐ」という目的を持ってブログを開設する方が多いのではないでしょうか。
「セールスライティング」という手法を使い、広告を貼り、いかに自分のブログから商品を買ってもらうか。
そして月にいくら稼いだということをアピールし、その手法を販売することで金を稼ぐ。
もちろんお金を稼ぐということは素晴らしいことです。
読者に「この記事に背中を押されて商品を買います!」「この人にお金を払っても良い!」と思ってもらえるというのは、それだけ価値のある文章を生み出しているということですからね。
稼いでいらっしゃるブロガーは言います。
金を稼げない日記なんてクソ。
検索意図に沿ってライティングしろ。
「3ヶ月で5桁稼いだ僕がその手法を全公開します」
「5万であなたのブログコンサルします」
こういった手法でライティングができなければ、ブログでの成功はありえない。
日記なんて書いたって無価値。
たしかにそうだと思います。
アカの他人の日記。
しかも女子高生とか女子大生ならまだしも、アラフォーの飲んだくれのおっさんの日記。
こんなもん誰が読むんだ。
たしかに誰も読まない。
どうせ読むならアルコール臭いおっさんの日記よりも女子大生とかのシャンプーの匂いのする日記のほうが良い。
僕だってそうだ。
でもカネを生み出すライティングのできないクズ日記ブロガーの僕は、日記がダメなら何を書けばいいんだと。
誰も読まないなら、じゃあ渾身の力を込めて日記記事を書いたところで何になるんだと。
日記記事なんてクソだって言われたらどこにこの感情をぶつければ良いんだ。
酒量が増えるだけじゃないかと。
そんな時に出会ったのが「アクタージュ」という漫画でした。
アクタージュは役者を目指す夜凪景ちゃんの物語
アクタージュは役者を目指す女子高生の主人公=夜凪景が役者への道をすすんでいく物語です。
父が蒸発、母が他界してしまい、弟のルイと妹のレイを養っていかなければならない景ちゃん。
唯一の拠り所は、昔から押入れに大量にあった古い映画のビデオ。
景ちゃんはその大量のビデオが宝の山のように感じ、繰り返し繰り返し、何度も何度も見続けていました。
「王女に娼婦、為政者に乞食、善人に悪人。
画面の向こうの役者達は、いつだって私の知らない人生を送っていた。だけど、彼らの演じる感情はいつも、見覚えのあるものばかりだった。父に捨てられた、あの時の感情も。
母を亡くした、あの時の感情も。
ルイとレイを初めて抱いた、あの時の感情も。
母と顔を見合わせ思わず笑った、あの時の感情も。すべて役者が演じてくれる。思い出させてくれる。
だから私も、思い出すだけで誰にだってなれる」
こうして無意識的に「メソッド演技法」=「その役柄を演じるために、その感情と呼応する自らの経験を追体験する」という演技手法を極めていた景ちゃん。
「最高の映画」を作るために役者を探していた映画監督=黒山に見いだされ、役者の覇道を歩みだすことになります。
アクタージュは日記ブロガーにめちゃくちゃ刺さる
とにかく僕が言いたいのは、アクタージュがめちゃくちゃおもしろいってこと。
そしてブロガーに、特に僕のような日記ブロガーにめちゃくちゃ刺さるってことなんですよ。
感情は武器になるってことなんですよ。
夜凪景ちゃんは僕ら日記ブロガーの星
景ちゃんは天才的なメソッド演技法を身につけてはいるものの、さすがにまだまだ未熟であり、技術や心構えなんかが足りていないんですね。
全然荒削りで、解き放たれた獣というか、スキルなしで戦いに挑んでる感じなんですよ。
呪文とか全然使わない。メラも知らない。もののけ姫のサンみたいな感じ。
自分の中の感情だけを使って勝負してる。
この景ちゃんの姿が、僕ら日記ブロガーと重なるんですよ。
お金を稼ぐことを目的とするビジネスブログでは、なんていうか、美しさが求められていると思うんです。
一貫したサイトの設計、統一された記事、セールスライティング技法、読みやすさ。
しかし日記ブログを書く時、重要なのは「自分の感情」になります。
時に暴走するほどの自分の感情を文章にして、インターネットに叩きつけていく。
「こんなことにムカついた!」
「これっておかしいよね!え?僕だけ?」
「このお菓子美味すぎ!」
「昼間っから酒のんだったったったったwwww」
「またブログ書かなかった死にたい」
こういった感情が日記ブログでは最重要となるわけです。
もちろん技術がまったく必要ないかといえばそんなことはないですし、読みやすさも重要です。
ですが、景ちゃんのように圧倒的な「感情」だけで周りを認めさせていく姿を見ると、僕のような日記ブロガーにはかなりぶっ刺さるわけですよ。
「おお!いったれ!!」となるわけですよ。
景さん、「天使」桃城千代子のビジネスの仮面も割っていく。
景ちゃんの対となる存在として、新進気鋭の若手女優で「天使」と評される桃城千代子というめちゃくちゃかわいいキャラクターが出てきます。
千代子は自身を「売れるために完全に計算された存在」として認識しており、「お芝居に心はいらないんだよ」と発言します。
しかし実は誰よりも映画に情熱を持っており、誰よりも一生懸命に「大衆のための天使」という仮面を作っていたんです。
大衆はどんな桃城千代子を望んでいるか。
他人からどう見られているか。
「天使」としての立ち振舞。
全ては大衆のために。
「大衆のための仮面。
その強度を上げれば上げる程、私は独りになっていく気がしたけどそれで良かった。
女優は天職だと思った」
これはなんか、ビジネスブログと重なるなーと思うんですよね。
有益情報、有料note、見る人のための美しさ、統一感。
他人の為になる情報以外必要ない。
書きたいことは書くな。
「全ては大衆の為に」
もちろんこれらは悪いことでもなんでもなく、素晴らしいことだと思います。
有益情報だけを発信し続けるというのは尊敬に値します。
お金も稼げますし言うことなしです。
千代子もビジネスブログもすごいと思います。
しかし、映画「デスアイランド」の景ちゃんと千代子の共演シーンでは、メソッド演技法の真価を発揮した景ちゃんの必死で泥臭い演技に、千代子が「喰われ」そうになります。
自然と千代子も「仮面の演技」ではなく「感情を移入した演技」となり、演技の最後では「天使の千代子」ではなく、今まで見せたことのない「桃城千代子」の演技をすることになります。
これはなんか嬉しいですよね。
日記ブロガーの景ちゃんが、ビジネスブロガーの千代子の新しい一面を引き出したというか。
ビジネスブロガーが日記ブロガーに影響を受けて、ちょっと人間臭い記事を書き出したというか。
日記ブロガーでもビジネスブロガーと渡り合えたぜ!みたいな。
感情と熱意でビジネスブロガーを揺さぶってやったぜ!みたいな
俺たちの景ちゃんがやってくれたぜ!みたいな気持ちになるんですよね。
いやまあ景ちゃんはブロガーじゃないんですけど。
存在感とは、虚構のなかにリアルがあること
お芝居とは作り物で虚構です。
観ている人はもちろん、演じる側も「これはお芝居で作り物だ」と理解しています。
虚構であるとわかっているわけです。
その虚構の中に、リアルが入り込んだら。
虚構のはずなのに、まるで本当にそこに在るような強烈なものが入り込んだら。
アクタージュの1巻では、景ちゃんがエキストラでありながら他の役者はおろかシーンそのものを「喰って」しまうという描写があります。
動作としては、ただ突っ立っているだけ。
それだけなのに、景ちゃん超絶にリアルな感情の演技によって存在感が圧倒的になり、そのシーンすべてが景ちゃんに「喰われた」わけです。
お芝居という虚構のなかに、自分の感情・体験・覚悟・人生を放り込む。
すると、周りが虚構だからこそ、余計にそのリアルな実像が際立つ。
それが存在感となり、お芝居という虚構が説得力を持つわけです。
文章という虚構でもそれは同じで、感情や熱量というリアルを乗せることで面白い文章であったり、説得力のある文章になります。
僕はビジネスサイトのように一貫したサイト設計や統一された記事を持ちません。
ご覧の通りゴッチャゴチャです。
お金も稼げません。
サーバー代が赤字です。
うん、しにたい。
でも景ちゃんが「感情」のちから一つで圧倒的な存在感を放つ姿を見ていると「いややっぱ熱量っしょ! 最終的には感情で、熱い想いがモノをいうわけでしょ!」と思えるんです。
とりあえず熱量ぶつけて日記記事を書いてみるわ!と思えるんです。
すべての日記ブロガーを勇気づけてくれる存在。
それがアクタージュであり、景ちゃんなんです。
僕たちは必死で日記を書いているか
アクタージュの役者たちは、お芝居のために日々必死に稽古をしています。
それは自分の出演するお芝居をより良いものにするため。
そして、役者として自分が成長するため。
稽古不足でお芝居に望んでしまうと、そのお芝居の質が下がるのはもちろん、共演者に負けてしまうかも知れない。「喰われて」しまいかねない。
僕はお芝居をしたことがないので、明確な判断基準のないお芝居での「勝った」「負けた」というのはイマイチピンときませんでした。
まあ多分、役柄への没入度とか表現力とかそういうものなのかなと。
しかし、日記記事で考えてみるとなんとなく納得できたんです。
要は日記ブロガーが他の日記ブロガーの記事を読んで「こいつの記事面白いわ……。負けてるわ……」と思ってしまうのと同じなのかなと。
ビジネスブログで考えれば、検索結果がすべて。
検索上位になるかならないかで勝ち負けを判別できます。
稼いでるか稼いでないか、というお話です。
しかし、日記記事には明確な勝ち負けはありません。
検索上位にいるから面白いとは限りませんし、稼げているから面白いとも限りません。
明確な勝ち負けがないからこそ、日々必死に日記を書かなければならないのです。
「喰われて」しまわないように。
面白い記事に出会った時「負けた」と思わないように。
アクタージュはすべての日記ブロガーを勇気づけてくれる
日記ブロガーの星・景ちゃんは天才的な役者ですが、もちろんそのまま役者の覇道を歩めるほど芸能界は甘くありません。
- 体験したことしか演じられない。
- シーンに合わせた演技ができない。
- 俯瞰した視点を持っていない。
- 表現力が足りない。
感情をトリガーとして圧倒的な演技を見せる景ちゃんも、景ちゃんですらも、それだけではダメだと。
この世界の様々なことすべてを必死に吸収していかないと、役者として成長できないわけです。
表現力に悩む景ちゃんに対して、こんな感じにアドバイスするシーンがあります。
感情を深く深く掘り下げて「何か」を掴む。
それを持って戻ってきて、丁寧に表現する。
アクタージュは名言がたくさんあるんですが、特に好きなセリフです。
これは役者の話ですが、日記ブロガーも同じだと思うんです。
感情や事柄を深く深く掘り下げて、分解して、理解して、そうしたら次はそれを丁寧に技術を使って表現する。
まさに日記記事の書き方だなと。
日記ブロガーに対して言ってるよね、これ。
ていうか僕に対して言ってるよね。アドバイスしてくれてるよね。そういうことだよね。
この漫画、僕の為に書いてるよね。
というかお芝居という芸術を表現するアーティストである役者の話とこんなにも日記ブロガーがリンクするなら日記ブログってもう芸術じゃん。
じゃあ芸術を表現する僕ら日記ブロガーってアーティストじゃん。
日記記事ってアートじゃん。
ということはもうアクタージュってブロガーの話じゃん。
日記ブロガー景ちゃんの話じゃん。
千代子はアフィリエイターじゃん。
タイトルもう「ブロガージュ」でいいじゃん。
日記ブロガー景ちゃんの物語「ブロガージュ」はマジで僕らを勇気づけてくれます。
カネを生み出す記事やライティングは確かに素晴らしい。
できる人は尊敬に値します。
でも、僕ら日記ブロガーはアーティストなんだ。
ブロガージュなんだ。
だから僕はこれからも日記記事を書いていって良いんだ。
これからも自分を表現していって良いんだ。
そんな風に、すべての日記ブロガーを勇気づけてくれる漫画。
それがアクタ、ブロガージュなんです。