写真嫌いを克服したい

僕は写真を撮られるのがものすごい苦手なんですよ。
苦手ですし、自分が写っている写真をみるのが本当に嫌で嫌で仕方がない。

理由は単純で、写真に写った自分がこの世のものとは思えないほどブサイクだからです。

本当にね、こんな顔でどのツラ下げて生きてんの? ってレベルでブサイク。
写真を撮られるのが申し訳ない。生きててすみません。あ、僕が撮りましょうか? ってレベルでブサイク。
ほんと、写り込んですいませんっていうしかない。

はるか昔、デジカメが普及する以前には、撮影された写真を見るには写真屋さんへ行かなければなりませんでした。
フィルムだとか使い捨てカメラだとかを写真屋さんへ持ち込み、現像という作業をしてもらう必要があったんです。
それがもうね、申し訳なくて仕方がない。

現像したら宴もたけなわみたいな顔したブサイクが浮かび上がってくるんですよ。
もうホラーですよ、ホラー。
写真屋さん晩ごはん食べられたかな。
現像してしまった僕の写真で食欲なくなったんじゃないかな。

ほんとマジで、デジカメが普及して本当に良かった。
写真屋さんを苦しめることがなくなって本当に良かった。
心からそう思うほどに、自分の写真をみて「まじで僕ってこんな顔してるんだ」と食欲減退するほどにブサイクなんですよ。

そんなわけで写真うつりが天変地異レベルでブサイクな僕。
できればそんなテロみたいな一品を生成したくはないじゃないですか。
誰も幸せにしない、不幸の手紙みたいな写真をこの世に産み落としたくはないじゃないですか。

でもやっぱり、何の因果か写真を撮られる機会というのはどうしてもあるわけで。
嫌だな~、怖いな~と稲川淳二風に写真撮影を避けていてもどうしても撮られてしまう瞬間があるわけで。

そんな風に写真撮影を恐れているので、写真を撮られる気配を感じると緊張してしまうんですよね。
オッ、撮るのか? 僕を撮るってのか? と身構えてしまう。
これがまた、誰にも望まれない子であるブサイク写真を生成するのにひと役買っているんです。

身構える=緊張してしまうわけです。

今日ではスマホを使って、いつでも、どんな時でも気軽に写真撮影をすることができます。
例えば、普通に友達と酒を飲んでいるときにも、何気ない日常を切る撮るとばかりにスマホカメラを向けられることがあるわけです。

こういう時って、なんか気配で気づくじゃないですか。
「あーなんかスマホ見てるのかなー、あ、写真撮ろうとしてるわ。ていうか僕写り込むわこれ」って気づくじゃないですか。
そうすると緊張して、身構えてしまうんですよね。
「これからこの血も涙もないブサイクヅラをデジタルデータとして収められてしまう。スマホぶっ壊れるんじゃねえか」などと緊張してしまうんですよ。

そうすると、せめて笑顔で写ろうとしても不自然な笑顔になり、せめて「最高の仲間に囲まれて最高にハッピー!」みたいなポーズを撮ろうとしても蝋人形作家が作った失敗作みたいな不自然なポーズになるんです。

結果「最高の仲間に囲まれて最高に不自然なポーズと表情で写ってる壊滅的にブサイクな僕」という写真が生成され、「撮れたよー」と見せられてもゲンナリしてしまう。
もう酒を飲むしか無い。日本酒いくか、とか考えてメニューを見るしか無い。
今日の酒はちょっとしょっぱいな、ねえマスター。とか言うしか無いわけです。

思い返してみると、僕は昔からそれほど写真を撮られた記憶がありません。

バイオハザードクラスにブサイクな僕も、そりゃあ小さな頃は天使でした。
完全に天使ガブリエルでした。
というのも、幼稚園に上る前とかそれくらいの頃の写真はあるんですよ。
この頃の写真を見ると自分のことながら「かわいいな」と思えるんです。

しかし小学生くらいになると写真は激減。
残存しているものはクラスでの集合写真とかその程度になります。

しかもそのクラスの集合写真での僕も、早くもブサイクの片鱗を覗かせている感じでブサイク。
ガブリエルじゃなかったわ。ルシフェルだったわ。
堕天してサタン化したルシフェルだったわ。
なんかよくわからんけどそんな感じでブサイクなんです。

ていうかなんでこんなに小さい頃の写真が少ないのかなと考えてみたんです。
「両親は僕があまりに絶望的なブサイクだから写真を撮りたくなかったのかな」とかいう悲しい理由も頭をよぎったんですが、多分そうではありません。
そこまで可哀想な幼少期を送っていたわけではありません。

理由は簡単で、僕は幼い頃から自分の写っている写真が嫌いだったんです。

小学校の頃、学校の遠足としてよく山へ登っていました。
当然大人たちは「せっかくの遠足だから思い出を写真に残しておこう」と考えますよね。
しかし、先生たちは僕らに危険はないか、ちゃんと付いてきているかということを監督しなければなりません。
先生が写真を撮るのに夢中になっていて村田君が足を滑らせて滑落しました、なんてことになったら目も当てられない。

「じゃあ写真を撮る専属の人間を用意しよう」ということで、僕らの学校では近所のスタジオからカメラマンが出張してきていたんです。

このカメラマンがですね、まさに腕の見せ所とばかりにバシバシと山に登っている僕らの写真を撮影していくわけです。
難所に差し掛かり辛そうな顔をしているところを撮り、休憩でお茶を飲んでいるところを撮り、山頂での笑顔を撮り、お弁当を食べているところを撮り、下山を撮り、バスで寝ているところを撮りとまさしく縦横無尽。「俺のカメラが喜んで啼いてやがるぜェ!」とか言ってました。いやすいません、言ってないっすわ。

そんなわけで遠足の後には、カメラマンが腕によりをかけた大量の写真が生成されます。
「ほらほらみんな、たくさん写真が撮れたよ! 持って帰ってね!」となれば「わーい! カメラマンさんありがとう!」ってなもんなのですが、世の中そう甘くはありません。
カメラマンもボランティアでやっているわけではありません。
出張代、ネガ代をしっかりと回収しなければならないのです。

そのため、遠足のあと数日すると廊下には大量の写真たちがズラッと、証拠として押収された隠し撮りの写真さながらに張り出されるんです。
どういうことかと言いますと、この写真たちにはそれぞれ番号が振ってあります。
僕たちはほしい写真を探し、その写真の番号をシートに記入。
代金と一緒に先生に渡すと、後日希望した写真が配られます。
僕らは思い出の写真を受け取り、カメラマンは懐が潤うというシステムになっているわけです。

僕はこの張り出された写真たちの中に、自分が写っているのが嫌で嫌で仕方がなかったのを覚えています。
写真に写っている自分を見ると恥ずかしくて仕方がない。
なんだこのブサイク、どのツラ下げて弁当食ってんだよ、とか思ってました。
今思い返すとすげー闇を感じること考えてましたね。

だもんで、当然自分が写っている写真なんて買いません。
買うとしたら壮大な山々の景色とか、「○○山山頂」と書かれている木札とかそういった風景の写真ばかりでした。
趣味が完全にジジイじゃねえか。

小学生時代がこんな感じなので、多感な中学生時代なんてもうマジでほぼ写真が存在しません。
ほんと全然見つからない。
多分卒業写真くらいじゃないかな。

しかし、高校時代になるとちらほらと自分の写真が出てきます。

僕が高校生の頃、巷ではプリクラがめちゃくちゃブームになっていました。
今のように撮影すると自動的にグレイ型エイリアンにしてくれるような機能はなかったんですが、ペンでゴリゴリにデコレーションできる時代のプリクラでした。

写真が大嫌いな僕ですが、なぜかプリクラはバシバシと友達と撮りまくっていたんです。
マジで週2くらいは撮ってたんじゃないかな。
しかも友達に誘われて仕方なくって感じでもなく、普通に自分から「プリクラ撮ろうぜー」とか言ってたと思います。
何言ってんのこのブサイク。

写真嫌いな僕が、何故プリクラは積極的に撮っていたんでしょうか。
考えるに、プリクラは出来上がるシールが小さい上に、画素数も少なかったからなんじゃないかなと。

なんとなく顔はわかるけど、カメラで撮った写真のように細部まで写り込むほどではない。
しかも出来上がりが小さいからもう何がなんだかわからない。
雰囲気しかわからない。
そのためこの驚異的なブサイクさが緩和され、嫌悪感を感じずに済んでいたんじゃないかなと。

女の子のプリクラとかみても大体可愛く見えましたもんね。
お前、実物と顔が全然違うじゃねえかってことがよくありましたもんね。
多分、そういうことなんでしょう。

この頃、友達が僕の家をたまり場にするようになり、毎週のように鍋パーティーを開催したり、ホラービデオの上映会をしたり、夜を徹した麻雀大会を開催したりするようになります。
そしてこの辺から「写ルンです」とかの使い捨てカメラをよく使い、友達をバシバシと撮影するようになりました。

あくまで「僕が」友達を撮影するのであって、自分が写真に写るのはやはり苦手でした。
なんだろう。ここまで来ると僕は幕末の人なのかなと。
写真撮られると魂が抜かれるとか本気で考えてたんじゃねえかな。

さて、何で僕が唐突に「僕は写真を撮られるのが嫌いだ」なんて話をし出したのかと言うと、ふと写真を見返してみると、自分が写っている写真が絶望的に少ないということに気づいたんです。スマホのカメラロールを見返しても、僕が写ってる写真はほとんどありません。

まあそうですよね。
写真が嫌いなんだから写真が少ないのは当たり前。
「自分の写真が大嫌いなんです!」なんて言っている人が大量に自分の写真を持ってたらおかしいですもんね。
圧倒的なドMなのかなってなっちゃう。

数年前に友達と旅行に行った時の写真を見返しても、僕が写ってるのはホント数枚だけ。
それぞれが撮影した写真をシェアしたんですが、シェアした上で僕が写ってるのが数枚ですからね。
僕この旅行本当に行ったっけ?
夢だったんじゃない? って心配になるレベル。

僕はもうアラフォーのおっさんなんですが、これってどうなんだろうと。

写真というのは思い出です。
良くも悪くも、生きてきた日常の切り取りです。
その中に、ここまで自分が写っていないというのはどうなんだろう。
もし今日僕が事故で死亡したりした場合、遺影にめちゃくちゃ困るんじゃないだろうか。

なんかね、ちょっとだけ、自分の写真も撮ろうかなと思ったんです。
いい年して「写真は嫌いだ」とか言ってるのも、なんかどうなのかなと。

もうブサイクなのは確定的事実であり覆せないことなので、せめてこう、ブサイクなりにマシな感じで写真に写れるようになれたらなと。
せめて緊張しないで写れたら良いんじゃないかなと。

緊張して不自然な顔と不自然なポーズを撮るから、ブサイクが更に凄惨なものになるわけなんです。
場数を踏んで写真に慣れていけば、少しは緊張することもなくなるんじゃないかなと。

そんなわけで、今をときめくiphoneで自撮りを何回かしてみました。
これはもう練習ですからね。
割り切ってリラックスして撮ってみました。

ううん、やっぱり変な顔ですわ。
造形がヌメッとしすぎてますわ。
端的に言うとブサイクですわ。
そしてやっぱり緊張しますわ。

というか、真面目に撮ろうとするから余計に緊張するんじゃないか。
むしろこれは、逆に変な顔とかして撮ってみればいいんじゃなかろうか。

ということで全力で変顔してみました。

うん、最高にブサイクだし最高に狂気を感じる写真ができた。
これは文字だけの縛りがある記事なので見せられないのが本当に残念なんですが、なんかスクラップになったバスみたいな顔してる。
交通事故防止月間の啓蒙写真みたいな顔してる。

いや待て、写真を撮られるのに変顔ってそんなにするか?
常に変顔してたら完全にヤバいやつだ。
精神鑑定とか勧められるやつだ。

写真撮影といえば、普通は笑顔だ。
そうだ、最高の笑顔の練習をしてみればいいんじゃないか。

ということでめちゃくちゃ笑顔で撮ってみました。

うん、最高にブサイクだし最高に狂気を感じる写真ができた。
これは文字だけの縛りがある記事なので見せられないのが本当に残念なんですが、なんか冥王星みたいな顔してる。
なんかよくわからないけど、表現しきれない顔してる。

でも、しばらくしてからこの狂気を感じる写真を眺めてみたら、ちょっと笑えました。

この笑顔を撮影してみたら、少しだけ見れるブサイクでした。

 

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