衣替えは未来へのカウンターアタックだ

「衣替え」という文化があります。

日本には四季があり、四季折々で気温が変わります。
僕たちは他の動物のように毛皮を持ちません。
なので、その時々の気候に合わせて着るものを変えていきます。

暑いときには半袖を、寒いときには長袖やコートを。

夏真っ盛りのクソ暑い最中である8月に、モコモコのダウンコートなんて見たくもないわけです。
そのため、暑いときには冬物をしまい込み、夏の装いを使いやすい場所に出します。

しまう時には、その冬に頑張ってもらった衣類を洗濯に出し、「また次の冬によろしくね」と声をかけながらクローゼットの奥へ。
もしくは「これはもう次の冬には着ないかなあ」と判断し、思い切って捨ててしまう。
次の季節に向けて、気持ちや服のリセットを行う。
これが「衣替え」という作業です。

しかし、僕はこの「衣替え」という作業をあまりしたことがありません。

そりゃひと冬着まくったコートを洗濯に出すくらいのことはしますが、それをわざわざ衣装ケースにしまい込んでクローゼットの奥底へ、なんてことはしたことがないんです。
なので、僕の家ではクローゼットを開けると今でもハンガーラックにダウンコートが鎮座されています。
「いつでもイケるよ!」みたいな顔してるダウンコートを毎日見ています。
うん、めちゃくちゃ暑苦しい。

めちゃくちゃ暑苦しいんですけど、衣替えって絶望的に面倒くさいじゃないですか。
暑苦しいダウンコートを毎日見るというリスクと引き換えにするほどのメリットってなくないですか。

僕はそもそも、冬物、夏物を1つの衣装ケースで仕分けているんですよ。
ここはセーターのゾーン、ここは厚手のゾーン、ここはTシャツのゾーン、といった具合に。

なので、冬物と夏物をいちいち複数の衣装ケースで分けて、季節ごとにそれをクローゼットの奥にしまったり出したりという作業をする必要がないんです。
そもそもTシャツなんて1年中着るじゃんって話なんです。
これ、最近の人ってみんなそうなんじゃないんですかね。
皆さんいちいち分けてるんですかね。

僕は老人ホームに勤務しているしがない介護士なんですが、利用者である高齢者の方々はなんか知らないんですけどやたら夏物冬物を衣装ケースで仕分けして、衣替えをしたがるんですよ。
「もう暖かくなってきたから冬物をこの衣装ケースにしまって、奥にある夏物の衣装ケースを出して……」とかやりたがるんですよ。

いや、やりたいならやってもらうのは全然良いんです。
昔はそうやって四季ときちんと向き合っていたんだなあと感じますし、それがその利用者さんのルーティンならやればいいとは思うんです。

でもナースコールで呼び出されてなんだろうと思って行ったら「衣替えをしたいからこの衣装ケースを出して、この洋服をここにしまって……、この服はどうかしら、まだ着れるかしら。ああ、ゴチャゴチャになっちゃった、どうしよう……」とかいう事になってるんです。

知らんがなと。
こんなこと言ってはいけないんですが、介護士としての倫理観を疑われてしまうんですが、あの、知らんがなって話なんですよ。
というか自分で完結できないならもはや衣替えとかやらなくて良いんじゃねえかなと。

そもそも介護施設ってのは「おや、デカイ熱帯魚の水槽ですかな?」ってくらい温度管理されていて、年間通じて25℃くらいに保たれているんです。
年間通してTシャツでイケるくらいの温度なんです。
というか働いている僕らは年間通して半袖の制服きてるくらいなんです。
Tシャツとちょっとした羽織物くらいあれば全然生きていける。
四季という概念をぶち壊す場所。それが介護施設なんです。
衣替えなんて全く必要ないんです。

いや、わかります。
四季折々の装いでファッションを楽しみたい。
それは利用者さんの生きるハリになりますし、「生きている」という実感になります。
衣替えだって、そうやって80年とか生きてきたんだからこれからもやっていきたい。
それはわかります。

わかるんですけど、衣替えしようとして衣装ケースがゴチャゴチャになって絶望して僕らに丸投げするくらいならやめていただきたい。
スパイダーマンが出す糸で編んだみたいな穴だらけの謎の羽織物がこれからの季節に必要かどうかなんて聞かれても、知らねえよって言うしかない。
必要か必要じゃないかで言えば間違いなく必要ない。
そういうことなんです。

この高齢者がやたらと衣替えをしたがるのは、衣替えが次の季節への「準備」だからなのかなと思います。

高齢者はやたらと「不安」を口にします。

入居している部屋からリビングへ食事に行くだけでも「ティッシュは必要かしら」と不安がる方がいらっしゃいます。
「リビングのテーブルの上に置いてある箱な、あれボックスティッシュやで」と言いたくなる気持ちをグッとこらえ「そうですね、持っていた方が安心ですね」と声を掛ける、なんてのは日常茶飯事です。

何かあったらどうしよう。
困ってしまうことがあるかもしれない。
じゃあそれに向けて準備をしておこう。

この「準備」をすることで不安を解消したい。
衣替えという「準備」をして、不安を解消しておこう。
そういうことなのではないかなと。

これは生命としての根源的な欲求に根付いているのではないかなと思います。

僕たち、というかこの地球に生きとし生けるもの全ては、地球という時間軸に縛られて生きています。
移ろいゆく季節に順応し、動物は毛皮が生え変わり、花は開花を迎える。
これらはすべて地球の時間軸に合わせて行われています。

今から約38億年前、地球に生命が誕生したと言われています。

今僕たちが衣替えができるのは「次にどんな季節がくるかわかっているから」です。
春の次に夏が来て、秋がくれば冬がくる。
そしてまた春が来る。
これは38億年間の経験と知識であり、生命の蓄積です。

しかし38億年前に誕生した最初の生命は、完全に手探りです。
経験ゼロ。
知識ゼロ。
完全なる初見プレイ。
初めて買ったファミコンのマリオをプレイする時みたいなもんですよ。
出鼻でクリボーに当たって死ぬレベルの手探り感ですよ。

最初の生命は海で誕生したと言われていますが、海に寄せて返す波があるってことすら多分知らなかったでしょう。
夜の次に朝がくるのかなんてのもわからない。
「明けない夜はない」なんて言われても「?」ですよ。
「朝が来ない窓辺を求めているの」とか言われても「??」ですよ。
次に何がくるかなんて、わかったもんじゃない。
予想外に次ぐ予想外で、準備なんてできるわけがない。
衣替えなんて概念がまず無い。

そんな環境の中で那由多の命が消費されていき、どうやら我々が生きる地球には法則性があるみたいだぞ、ということがわかってきます。
春の次には夏が来るぞ、時間軸があるぞ、ということがわかってきます。
途方も無い時間を掛けて、知識と経験を得た僕たちは、この地球法則に対して「準備をする」ということを学びました。
完璧には予想できない未来への「不安」のカウンターとして、僕たちは「準備をする」のです。

雨が降りそうだぞ、傘を持っていこう。
明日は寒そうだぞ、厚着をしていこう。

そうだ、今度研修で本社に行かなきゃいけないんだった。

僕の勤務している施設は複数展開しており、本社はまた別の場所にあるんです。
そして本社に行くときにはビシッとスーツを着込まないといけないという、クソ面倒くさいルールがあります。

勤務先の施設に行くときはサンダルでもOKという気軽さなのに、本社のときだけドレスコード指定。
こういうお高く止まってる感が鼻につく本社に、何の研修なのかイマイチしっかり説明されないままの謎の研修を受けにいかなければいけなかったんです。

心から面倒くさい。
心から面倒くさいけど一応準備をしておかなきゃ。

年に1回着るかどうかレベルのスーツを引っ張り出し、着てみます。

僕は現在デブに片足突っ込んでる感じの雰囲気デブなんですが、このスーツを買った当時は全力のデブでした。
片足どころか全身デブ。
雰囲気どころか脂肪色の覇気を身にまとうレベルのデブ。
そんな完全無欠のデブ当時に購入したスーツのため、完全に着丈があってなくて、お父さんのスーツを借りてきた高校生くらいの不自然感が出ているんですがまあ着れる。
大丈夫大丈夫。
ていうか年イチ着るかどうかの服にそんなに気を使っていられない。

スーツはまあ着れたから良しとしよう。
次は革靴を用意しなきゃ。

こちらの革靴もスーツを着るときにしか履かないもんですから、完全に下駄箱の奥底に封印されている状態なんですよ。
洋服は衣替えがあるから着ない服でも年に何回かは見る機会がありますが、靴なんて履かない靴は全く見る機会がないですからね。
まあ僕の場合衣替えもしないので、もしかしたらクローゼットの奥底に古の化石みたいになった洋服が眠ってるかもしれませんが。

そんなことを考えながら久々に革靴を引っ張り出してみたんですけどね、まあ白いんですわ。
あれあれ、当時の僕は黒いスーツに白い革靴なんてホストでもやらないようなイケイケの格好してたのかな。
デブのくせにそんな勘違いオシャレさんだったのかな。
なんて思ったんですがまあそんなわけはなく、完膚なきまでにカビが生えてました。
もう少し頑張ったらキノコとか生えるんじゃないかなってレベルでカビてた。

革靴ってマジでしばらく履かない時には陰干しとかして、新聞紙とか突っ込んでおかないとカビるんですね。
しっかり準備しておかないとこういうことになるんですね。
これは完全に予想できなかった。
所見のマリオで最初のクリボーに全力体当たりしちゃうレベルで予想外だった。

僕たちは先人たちの知識と経験の上に生きています。
数多の屍が今の安心を形作り、ある程度未来を予想し、準備できるようになりました。

それでも予想外のことは起きます。
だからこそ、知識と経験にあぐらをかかず、しっかりと準備しなければならないのです。

行く先にボックスティッシュがあるのが丸わかりなのにポケットティッシュを持っていく。
これは未来へのカウンターアタックなのです。

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