コーヒーは憧れの味

コーヒーは憧れの味だと思うんです。

「彼女とのデートで背伸びして、ガムシロップもミルクも入れず苦いのを我慢しながら飲んだアイスコーヒーの味」

なんてホロ苦甘キュンな思い出は皆無で、思い出されるのは友達のR君ってやつが「やっぱコーヒーとタバコってめちゃくちゃ合うわぁ」とか言いながら鼻と口からタバコの煙だしながらコーヒー飲んでたってことくらいなんですが、コーヒーは憧れの味だと思うんです。

いや、半目で鼻と口からタバコの煙を出してるR君に憧れていたというわけではありません。
確かにその時R君はブラックの缶コーヒーで、僕は普通に砂糖とミルクの入った缶コーヒーを飲んでいたんですが、じゃあイキ顔で鼻と口から煙出しながらブラックコーヒー飲んでるR君カッコいい! 憧れる! ってなるかって言ったらならないわけで。「ふぅん、そうなんだ」とか言いながら「こいつめちゃくちゃ煙出すなあ。機関車トーマスかな」くらいに思ってたわけで。

なので、とにかくブラックコーヒーを飲んでりゃあ「ステキ! 抱いて!」ってなるわけじゃないんですよね。脊髄反射で「憧れるゥ!」ってなるわけじゃない。

コーヒーの何に憧れを感じるかというと、それは「大人であること」だと思うんです。

自分には飲めない、あんなにも苦いものを難なく、というかむしろ美味しそうに飲む。
つまりは、おれたちにはできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ! という話なんですよね。まあR君に憧れは微塵も感じなかったけど。

幼い頃は特に、大人は「何でもできるスゲーやつ」と感じますよね。

車を運転できてスゲー、こんなに重いものを持ててスゲー。
おやつを買ってくれるも買ってくれないも、遊びに連れて行ってくれるもくれないも大人の気分ひとつ。まさしく自分のすべてを握られているという感覚。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」とか言いますけど、子供にとってはそんなもん無理無理。だってもう誕生した時点で握られてるもん。完全に支配下にいるもん。子供にとってみれば森羅万象を司る人だもん。

子供にとっては、「大人である」というだけで純粋に「憧れ」の対象になるんです。

あれは僕が幼稚園児だった頃、幼稚園に教育実習生のお姉さんが来たんです。

先生とは違う大人、だけど先生よりは自分たちに年齢が近い大人がいるという非日常感にわくわくして、みんなお姉さんと遊ぼうとまとわりついていたような気がします。

まあお姉さんとはいっても教育実習生ですから、年齢なんてハタチそこそこなんですよね。
今の僕からしたら全然年下のおネーチャンなわけで。まあ、当時とは別の意味でおネーチャンに憧れを感じないこともないんですけど。

しかし当時の、幼稚園児の僕からしたら、途方もない年上の「大人のお姉ちゃん」なわけです。
ハタチくらいっていっても当時の僕からしたら5倍くらい生きているわけですからね。めちゃくちゃ大人。めちゃくちゃ遠い存在なわけです。

今の僕の年齢で考えると、自分の5倍生きてるってことは200歳くらいになるわけですからね。200歳ですよ、200歳。屋久杉かよ。途方もない。めちゃくちゃ遠い存在。そりゃ憧れますわ。

鮮明に覚えているのが、その憧れのお姉さんに「夢を教えて」と言われた時のこと。

きっとお姉さんは教育実習の一環できいているだけだったと思います。
本心から「この子の夢を知りたい!」とかは思ってなかったんだと思います。

でも僕は、憧れの大人のお姉さんに認められたかった。
自分の5倍も生きてる屋久杉みたいなお姉さんに認められたかったんです。
「たくろうくんはデキが違う!」と思われたかったんです。
「『夢を教えて』ときいたら『こいつぁ格が違うぜ!』という夢が出てきた。どんな夢?」という大喜利で、イッポン取りたかったんです。

ここでバシッとクールな回答をして、憧れのお姉さんを唸らせてやるぜ! 「たくろうくんステキ! ジョパッ!」みたいなこと言わせてやるぜ!

そう決意して、僕が出した一世一代の回答が

「ガソリンスタンドの店員」

あのね、意味がわからない。
何でガソスタの店員で「たくろうくんスゲー!」って思われると思ったんだよ。
トチ狂ってるとしか思えない。

お姉さんも何かこう、絶妙に可愛くない猫を見たときみたいな顔して「そうなんだぁ〜」って言ってた。はにかんでた。屋久杉みたいな顔してた。

全然ダメ。全然イッポン取れてない。

ヤバイ。全然スゲーと思われてない! と焦った僕は、追撃として「ガソリンスタンドの店員さんになってね、バイクに乗るんだ! お姉さんも乗せてあげる!」とか言ってました。

あのね、全然話が繋がってない。
何でガソリンスタンドの店員になってバイクに乗るんだよ。
お前はバイクを迎え入れるんだろ。何でお前がバイクに乗るんだよ。ガソスタ内でバイクに乗って働くんか? どんだけ広大な土地のガソスタに勤める気だよ。ENEOSアリゾナ支店とかか?

当然こんな追撃をしても、お姉さんに「スゲー!」ってリアクションされるわけがなく、「そうなんだぁ〜」って言われるだけでした。屋久杉みたいな顔してた。
どうせなら「ENEOSアリゾナ支店に勤めるんだ!」って言ったほうがスゲーって思われたんじゃねえか。

憧れの大人に全然認められてない。
それどころかリアクションに困ってる感すらある。
そんな苦い思い出でした。

そんな苦い経験をたくさんしつつ、じっさい、僕は完全にアラフォーとなり、完膚なきまでに薄汚れたおっさんとなりました。
あの頃のお姉さんの年齢をめちゃくちゃ通り過ぎて、お姉さんより「大人」になりました。

僕自身としては、精神年齢は23歳くらいからまったく変わっていないような気がしているんですが、こんなくたびれたおっさんが「23歳ですっ!」とか言ったところで当たり前に23歳のフレッシュ感は皆無であり、野菜室の奥底で変色したトマトを発見したときみたいな顔をされるだけです。

つまりは、僕はもう完全に大人のおっさんになってしまった。

じゃああの頃憧れていた大人になれたのだろうかというと、まあまあ、控えめに言って微塵も憧れに足るような大人にはなっていないんですよ。

全然ガソスタで働いてないし、微塵もバイクに乗ってない。
老人の尻ばっかり拭いてる。

幼稚園児の頃の僕に「大人になったら君は老人の尻を拭く職業に就くんだよ」って言ったら「そうなんだぁ~」って言われると思う。リアクションに困ると思う。
キラキラした憧れと現実のギャップで、下手したら自殺するんじゃねえか。若くして命を絶ちかねないんじゃねえか。

そう、憧れにはギャップが付き物です。

わかりやすいのはダイエットとか筋トレとかで、例えば「ジェイソンステイサムみたいにカッコいい肉体になったるで!」と決意してトレーニングを始めたとしても、ジェイソンステイサムみたいになるには血のにじむようなトレーニングとゲンナリするような徹底的な食事制限をしなければならないんですよ。あとハゲなきゃいけない。
そこまでして頑張ってジェイソンステイサムに近づいたとしても「あれはジェイソンステイサムだからカッコいいのであって、自分がなってみたらただの筋肉質のブサイクなおっさんだった」ってなるかもしれない。「あとハゲた」ってなるかもしれない。

「芸能界ってすごくキラキラしていてステキ! 私も芸能人になりたい!」と憧れていたとしても、じっさいのところはすごく大きいギャップを感じる場合もあります。
トップアーティストとして音楽シーンとファッションシーンをリードし続けたあの安室奈美恵ちゃんも「もし人生をやり直すなら絶対に芸能人にはならない」みたいなことを言っていました。

どれほど憧れていたとしても、そこに到達してみると「思ってたんと違うなあ」とギャップを感じることはあるんですよね。

僕はもう大人になって、大人になるという意味を知ってしまった。
憧れの正体を知ってしまったんです。

僕はもうブラックコーヒーだって全然飲めます。というかむしろ好んで飲むようになりました。
しかしそれが「ブラックコーヒー飲めて大人!」ってなるかっていうと、そんなことは全然ありません。
なんでブラックコーヒーを好んで飲むかっていうと、あんまり甘いモノを飲んでいるとなんか気持ち悪くなってくるからっていう理由で、これもう大人っていうより老化みたいなもんじゃないですか。胃が砂糖の重さに耐えられなくなってるだけの話じゃないですか。
ついでにいうとブラックコーヒーって安いじゃないですか。喫茶店で一番安い飲み物じゃないですか。そういうことなんですよ。

胃腸の弱い老化した金のないおっさん。
僕にとってはそれがブラックコーヒーを飲む大人の正体です。

コーヒーは間違いなく憧れの味です。
憧れとのギャップを知った、大人のほろ苦い味なのです。

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