ワクワク・ト・恐怖マダム

わくわくの正体は、非日常感なんだと思います。
普段の生活や行動から離れた体験、それがわくわくなんだと。

かといって、普段の生活から離れすぎるとそれはわくわくではなくどきどきになり、身の危険や不安、恐怖を覚えます。

例えばただのしがないアラフォーのおっさんが突然異世界に飛ばされた。
目の前に現れるのは原生の森林、闊歩する異形の動物。

そんな状況に「オラ、ワクワクしてきたぞ」なんてことになるのは自身の生命体としての強靭さに絶対的な自信を持つ戦闘民族くらいで、アラフォーのおっさん、ていうか僕だったらもう不安と恐怖でわくわくどころではなくなります。

異世界で自分の体長程もある肉食の特徴を備えた動物が牙をむき出しにして目の前で「ギシャー!」とかいってたらこっちは「ジョパー!」って失禁するしかない。
「あ、死んだわ」って思うしかない。わくわくどころじゃないわけです。

ところが、今まさに喰われる! という瞬間、身を守ろうと咄嗟にかざした手から何らかの魔力的な光線が発射されてその肉食獣どころか原生林をも地平線の向こうまで焼き尽くした、となればもう話が違う。
「これが……僕の力……?」
となって、異世界転生したらLv999の勇者だった件みたいなことになるともう話が違う。

余りある圧倒的な力を行使していくだけ、となったら異世界だろうとなんだろうと、不安なんか微塵もなくなるわけですよ。
こうなるともうなんならせっかく異世界に来たんだから色々見て回ろうかしら。異世界グルメも楽しんじゃおうかしら、となる。せっかく京都に来たから美味しいもの食べたいわ、くらいの話になる。身の危険? 平気平気、俺Lv999だからとなる。
不安から一転してわくわくしてくるわけですよ。「オラ、ワクワクしてきたぞ」となるわけです。

つまり、わくわくの正体とは「身の安全が保証された状態での非日常体験」であると言えます。

最近全然わくわくしていないわ。子供のとき感じたあの毎日がキラキラとしていた感情はもう枯れ果ててしまったのかしら。日常がとても刺激的で、毎日わくわくしていたあの新鮮な感情はもう感じることはないのかしら。
私の毎日なんて、なんの楽しみもない仕事と、ただご飯を食べて寝るだけのために帰ってくる自宅との往復だけ。
たまの休みには昼間で寝て、何をするでもなくぼーっと過ごして気づいたら日曜日の夕方。心躍るようなイベントもなく、やりたいこともない。どこかへ出かけたら?なんて言われるけど、でかけるのも億劫。
温泉に行きたいな、くらいは考えないこともないけど、いざ実行に移すために宿を決めたりプランを立てたりするのも面倒くさい。
灰色で感情の起伏のない毎日。
そしてそれを受け入れてしまっている私の愚鈍な心。
いったいいつからこんなふうになってしまったのかな。
いったいいつからこんな彩りのない世界に、ある種の居心地のよさを感じるようになってしまったのかな。
安定といえば耳ざわりは良いけど、言い換えればただ生きるために生きているだけ。
SF映画にあるような、この世界は虚像で、培養液に浸された脳だけがただ日常を感じているような、ただただ過ぎていくだけの毎日。
このままずっと、こうして垂れ流しの人生を生きていくのかしら。
西日に照らされる部屋で夕方の喧騒を映すTVを眺めながら、麻由美は27歳の誕生日を終えようとしていた。

みたいな感じに、日常に慣れきってしまった僕らは、なかなかわくわくを感じることがありません。
子供の頃に感じたあのわくわくは「日常が非日常にあふれていた」から感じていたもので、何十年も生きて「日常は日常である」と嫌というほど刷り込まれてしまった僕らにはわくわくを感じることが難しくなってしまったのです。

じゃあ僕たち大人にはもうわくわくを感じることができないのか、というとそうではありません。
要は生活に「非日常」を取り入れれば良いのです。

普段していないことをやってみる。
それはもちろんイヤイヤやらされることでは、わくわくというよりはクソダルとなってしまうので、少なからず自分に興味のあることを。

ボルタリングやってみようかな、でも良いですし、絵を書いてみようかな、でも良い。
Twitterに3000文字チャレンジっていう画像文字装飾リンク挿入なし縛りでひとつの単語について3000文字以上の記事を書く企画があるから挑戦してみようかな、でも良い。

興味があるけど今までやってこなかったことに挑戦してみる。
それだけで大人の僕らでもわくわくを感じることができるはず。

僕は中肉中背の、めちゃくちゃ太ってるねとは言わないけどシュッとしてるねとも言えない、なんとも表現に困るけどまあなんていうか、おじさん体型だよね、みたいな絶妙なニュアンスのデブなので、心のどこかに常に「ダイエット」という文字がひっかかっているんですよ。
「運動しないとなー」とか言いながらハイボールをゴクゴク飲む、みたいな、まあストレートにいうとクズみたいなデブなんです。

とはいえ、走るためだけに走るランニングとかは心の底からやりたくないので、どうしようかなーと思っていたら、うちから徒歩5分くらいの場所に市民プールがあることを思い出したんです。

ああいうところで泳ぐ人ってだいたいクロールで泳ぐと思うんで、平泳ぎしかできない僕は舌打ちされるレベルで邪魔になるだろうから泳ぐことはできないんですが、その市民プールでは歩行者専用レーンが設置されてるみたいなんです。
なんか水の中では抵抗が大きいから歩くだけでダイエット効果があるとか言うじゃないですか。

こりゃあもう行ってみるしかない。
海とか水の中に入ってること自体は好きだし、運動にもなる。
行ったことのない場所だし、刺激にもなる。
こりゃあもう行ってみるしかない。

そんなわけで久しぶりのわくわく感を感じながら、市民プールに行ってみたんです。

で、実際プールに入ってみると、まあ結構年齢層が高めなんですよね。
僕くらいの世代の人もいるっちゃいるし、僕より若い人も、子連れの人もいるっちゃいるんですけど、基本的には僕より少し上か、老人に片足突っ込んでるかくらいの人が多い。

プールで歩いてるやつなんて少なくて目立つかな、とか思ったんですがそんなこともなく、年齢層が高めなこともあって普通に歩いている人も結構いる。
こりゃあいいやと他の人と混じって歩き出したんです。

レーンの端から歩き出して、端まで行ったらまた折り返して歩く。
ただ歩いているだけなんですけど、初めての体験でわりと楽しい。わくわくする。

そんな感じで楽しみながら歩いていると、前の人がちょっと年齢層高めのマダムだったんですが、おもむろに横に向いて進みだしたんです。

水中で横向きに歩くと水の抵抗も合わさって普段使わない筋肉を鍛えることができるって話をみたので、きっとそれをやっているんだろうなと、まあさして気にせず、そのマダムの後ろについて歩き続けます。

しばらくするとそのマダムは逆の横向きになって歩き、またしばらくすると、まあ流れ的にわかってはいたんですけど、後ろ向きに歩き始めたんですよ。

後ろ向きに歩くってことは、後ろにいる僕に顔を向けて歩くってことなんです。
ずっと僕を見つめながらマダムは歩き続けるってことなんです。
僕はずっとマダムを見つめながら歩き続けるってことなんです。

しかもなんかマダムの歩行速度が僕の歩行速度と本当にちょうど良くて、完全に同じペースで進んでいくんですよ。完全に息がピッタリ。プールで息がピッタリとかまさしく水の呼吸だなって言うしかない。「玖ノ型、水流飛沫・乱!」って言うしかないくらい水の呼吸が一致してた。

ただね、こっちからしたら正直気まずいわけ。
なんで見知らぬマダムと顔を合わせながらプールで歩いてんだよと。これが石原さとみだったらそりゃあもうめちゃくちゃわくわくしますよ。僕もまあ、一般の会社員の男性ですからね。ワンチャンスがないとも限らないじゃないですか。「石原さとみとワンチャンス」ってこの単語の連なりだけでわくわくするじゃないですか。「プールで石原さとみとワンチャンス」だともう満貫じゃないですか。体のどこかが満貫じゃないですか。

でも今目前にいるのは見知らぬマダムですからね。マダム・ド・パリみたいな感じですからね。全然わくわくしない。もうこのマダムと見つめ合ったままレーン5週くらいしてる。もはや恐怖しか感じない。はやく前向いてくれよ。

わくわくを感じるためには非日常に飛び込むことが必要です。
それは間違いないんですが、マダムと見つめ合いながらプールを5週するとか非日常すぎる。異世界転生レベルで非日常すぎる。
なんらかの力が発動しねえかなと思って手をかざしてみましたけど、当たり前に光線とか発射できませんでした。マダムも原生林も焼き払えなかった。

こんなの全然わくわくじゃなかった。
「身の安全が保証された状態での非日常体験」じゃなかった。
このままマダムが僕んちまで先行して歩いてきたらどうしようかと恐怖を感じた。
僕が求めてたのはそういう非日常じゃねえんだよ。

やはり大人になるとわくわくするのはなかなか難しいものですね。

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