すべての犬は、ほんとうは犬じゃないのかもしれない

すべての犬は、ほんとうは犬じゃないのかもしれない。
散歩中の犬を見て、ふとそんなことを考えました。

僕たちはこの世界のことをわかっているようで、実はほとんどわかっていません。

「水槽の脳」のように、僕らの脳は実は研究室の培養液に浸されている状態なのかもしれません。コンピューターから電気信号を与えられて、その反応として「いま僕は公園を散歩している。陽の光ってあたたかいなあ」と勘違いをしているだけという可能性を否定できないのです。

また、「世界5分前仮説」のように世界が5分前にできたとしても、それを否定することができません。
全ての記憶と他人との関係性。例えばこのあいだ久しぶりの飲み会に参加して酩酊、終電で乗り過ごし、気づけば南町田とかいうわけのわからない辺境の地に放り出されスヌーピー公園でスヌーピーの人形相手にクダを巻いたという記憶も、それをデータとして「設定」された状態で5分前に構築されたものなのかもしれないのです。
そう、僕らは実はサーバー内にいるプログラム、データでしかないのかもしれないのです。

これらは思考実験の話ですが、もしかしたら僕たちはそういう世界にいるのかもしれないわけです。

自分たちの生きている世界はどういう世界なのか、実はこれっぽっちもわかっていないんです。天国はあるのかないのかすら、魂というものは存在するのかすらわかっていない。
結構ガバガバな感じで生きているんですよね。

脳だって結構ガバガバじゃないですか。
脳蓋をパカッと割り開いて謎の棒で脳をクチュクチュされただけで、「水見式という方法があっ最も簡単であっあっ」と割と重要な、敵に知られてはいけない情報を口走ってしまいますし、視覚が遮断された状態で「熱したアイロンを押し当てるぞ」と告げてから熱くもなんともないただのスプーンを押し当てただけで「熱っつあぁ!!11!」と勘違いしてしまう。

量子力学のミクロな世界、原子とか素粒子とかの世界になると、実は素粒子の周りってスッカスカらしいじゃないですか。なんか99%が空洞らしいじゃないですか。なんのソーシャルディスタンスなんだって話じゃないですか。ほとんどサハラ砂漠で遭難してるのと同じじゃないですか。素粒子って実は全部遭難してるのかもしれないじゃないですか。

ということは、あのギッチギチに中身のつまったスニッカーズも、実はほとんどが空洞ってことになるじゃないですか。
最後までチョコたっぷりなはずのトッポですらも、実はほとんどが空洞ってことになるわけじゃないですか。

なにそれ。
もう何も信じられない。

遭難した時にスニッカーズを持っていると生存確率が上がるって話を聞きますけど、ほとんどが空洞だったら生き延びれないじゃん。

自分の脳みそもすぐに勘違いするし、世界の真理もわからない。
スニッカーズもスッカスカとくれば、もう何を信じて良いのか全然わからないわけですよ。
だってそれって僕たちの頭もスッカスカってことじゃないですか。
馬鹿にしてるんですか。

とすれば、犬だってほんとうは犬じゃないのかもしれない。
犬のように見えているだけで、実は犬じゃないのかもしれない。
何も信じられないこの世界では、犬が犬であることすらも信じられないわけです。

僕の傾倒するエロゲーに姫騎士ジャンヌというものがあります。
姫騎士ジャンヌとは、オーガ・ギドーとダークエルフ・ジェリクの奸計によって罠にハマったジャンヌがギドーとジェリクにそこかしこでエロいことをされるという、死ぬときに消しておきたいHDDデータTOP3にランクインするくらいの反社会的なゲームです。

このゲームでは、ジャンヌはジェリクに犬のように扱われ、深夜の宮殿内を全裸に四つん這いで散歩させられるという調教シーンがあります。犬のように振る舞うことを強要され、できれば快楽を、できなければ乳首とかに電撃を浴びせられるという調教を受けることにより、次第に精神が四足獣に蝕まれていくというものです。

「犬のように鳴け! ジャンヌ」
「そ、そんなことできませんわ!」
「お仕置きだ!(電撃)」
「きゃうん! わ、わん! わんわん!」
みたいなシーンなんですけど、まあ割と簡単に犬になられますね姫騎士、とか思わなくもないんですけど、実際乳首に電撃当てられるって考えたらまあ従いますよね。

乳首に電撃ですよ、電撃。
言い換えれば乳首にスタンガンですよ。
そりゃ従うでしょ。ワンくらい言うでしょ。

多分乳首に電撃とか受けたらめちゃくちゃ痛いっすよ。こんなの耐えられるのジャンヌか範馬勇次郎かってくらいっすよ。
範馬勇次郎は落雷を受けたときに体がスケスケになってたけど、ジャンヌはスケスケになってなかったからもしかしたらジャンヌのほうが雷耐性あるのかもしれない。
バキ道のクローン武蔵はテーザー銃という銃型のスタンガンを浴びせられて気絶したけど、ジャンヌだったら耐えられたのかもしれない。
「ンオオッ!」とか言うだけで耐えられたかもしれない。
これはもう親戚にピカチュウとかいるのかもしれない。

まあそんな感じで電流と快楽による調教で心身ともに摩耗し、もう心も体も犬に堕ちてしまったジャンヌ。
そんなジャンヌは「急用を思い出したから待ってろ」とその場を離れるジェリクに置いてけぼりにされてしまいます。

いや、調教中に急用を思い出すとか信じられないじゃないですか。しっかり用事を済ませてから調教してほしいじゃないですか。私の調教と急用、どっちが大事なのって話じゃないですか。最低よね、こういう男って。だからダークエルフってイヤ。

そんなわけでひとりぼっちにされてしまったジャンヌ。
逃げ出せば良い話なんですが、調教により逃げるという意思を削り取られてしまい、本当の犬のようにただその場で怯えるのみ。
「全裸でこんなところでうずくまっているのを配下に見られてしまったら、どうしたらいいの……」
そんな不安が的中するかのように、何者かが近づいてくる足音が聞こえます。
小さく悲鳴を上げ、更に体を小さく縮こませ震えるジャンヌ。

「なんでこんなところに犬がいるんだ?」
声の主は、ジャンヌと相思相愛の仲である騎士団長のキースでした。

「犬? キースにはわたくしがジャンヌだとわかっていませんの?」
「首輪をしているから宮殿内の誰かが飼っているんだろうけど、見たことのない犬だなあ」

そう、ダークエルフのジェリクは「周囲に」魔法を掛け、まわりの人からジャンヌが犬に見えるように認識改変をしていたのです。

つまりそういうことなんです。
僕らが日常で見かける犬。あれは実はジャンヌなのかもしれないんです。
僕らはジェリクの魔法によって認識改変が行われているのかもしれないんです。

年老いた猫は「猫又」となり、人語を解するようになるという話があります。
これは実は本当は人間だったけどジェリクの魔法によって周囲の人が猫だ猫だというものだからしょうがないからじゃあ猫として生きるかと決意して十数年経ったけど、もういい加減猫として生きるのはやめよう。私は人間なんだ! と覚醒した人がいきなり喋りだしたのかもしれない。
佐脇嵩之の百怪図巻には三味線を弾く猫またが描かれていますが、これはジェリクの魔法の被害者が「もう猫として十分生きた。これからは趣味に生きよう。とりあえずずっとやりたかった三味線を弾きます」ってことでやりはじめたのかもしれない。

人面犬だって、もしかしたらジェリクの魔法が解けかかっているときに犬を見かけたのかもしれない。
人面犬が「ほっといてくれ」と言ったエピソードだって「ジェリクの魔法によって、自分はもう人間として生きることはできないとわかっている。だから『ほっといてくれ』」ということだったのかもしれない。

すべての犬は、ほんとうは犬じゃないのかもしれない。
散歩中のあの犬は、実はジェリクによって調教中のジャンヌなのかもしれないのです。

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