【80歳の頃】小林麻央さんとバガボンドに学ぶ「自分を生きる」というお話【#3000文字チャレンジ】
こんにちは、たくろうです。
Twitterのブログ企画「#3000文字チャレンジ」に参加させて頂きました。
この企画は毎週木曜日に発表されるお題に対して「文字の装飾禁止」「画像の挿入禁止」かつ「3000文字以上書く」というものです。
今回のお題は「80歳の頃」
80歳とは、日本人男性のほぼ平均寿命になります。
正確には81.25歳。
ちなみに女性は87.32歳です。
(2018年厚生労働省)
大体の日本人男性が「80歳の頃」に亡くなる、ということですね。
じゃあ実際僕自身が80歳の頃どうなるのかなーと。
死んでいたらまあしょうがないんですが、生きていたとして、どんな風になっているのかなあと考えてみたんです。
僕は現在介護施設で介護福祉士として働いており、様々な利用者さんと接しています。
介護施設というだけあって、職場はよりどりみどりの老人で溢れています。
もう老人の入れ食い状態。
右を見ても左を見ても老人。
もうほんと、言葉そのままの意味で両手に老人。
地域でこの一角だけ平均寿命爆上げといった様相を呈しています。
そんな施設の利用者さんは結構お年を召していらっしゃる方が多くてですね、普通に100歳超えの方もチラホラ。
「80歳? ハン、ケツが青いね。出直してきな」
とか言われる感じで、80歳なんてまだまだ若いっしょ! みたいな扱いになる恐ろしい建物で働いているんです。
まあ、元気なまま年を重ねることができれば、それは大変良いことです。
しかし老いてくるとどうしても、自分で出来ないことが増えてきます。
歩くことができなくなる。
立ち上がることができなくなる。
自分で食べ物を口に運ぶことができなくなる。
ものを上手く飲み込めなくなる。
失禁をしてしまう。
もちろん体力がなくなってきますから、病気になることも増えてきます。
また、いわゆる「認知症」という症状が出現することもあります。
自分が何故ここにいるのか、ここはどこなのか、今はいつなのか。
目の前の人は誰なのか、自分は誰なのか。
そういったことが全くわからなくなっている方もいらっしゃいます。
そんな利用者さんを前にして、僕らは
「できないことはしょうがない」
「できること、できそうなことをやってもらう」
「何もわからなくなっても、穏やかに過ごしてもらおう」
というスタンスで介助をしています。
しかし、日々そういった高齢者の姿を見ていると、僕個人としては恐怖を感じることもあります。
モノを食べることも出来ず、胃に直接栄養を流し込まれ、糞尿を垂れ流し、虚ろな目でただベッドに横たわる。
思考が混濁し、何もかも判別せず、唐突に怒り出す。
出来ないこと、失敗したことを全て人のせいにして、自分のしたことを認めない。
もはや人とは別の『何か』になっているのではないか。
これは介護士としては全く相応しくない考えですが、そう思ってしまうこともあります。
そして、年を重ねていくと、自分自身もそうなっていくのではないか。
僕は今やアラフォーのおっさん。
80歳の折り返し地点まで、すぐそこです。
これから先、どんどん出来ないことが増えていく。
どんどんわからないことが増えていく。
出来ることより、出来ないことのほうが多くなる。
今と同じ生活を送っていくことができない。
それはやはり、単純に恐ろしいことです。
僕はその恐怖、事実を受け入れることができるのか。
「老い」に人生を塗り込められていってしまうのではないか。
乳がんを患い若くして亡くなった小林麻央さんは、闘病中に
『与えられた時間を、病気の色だけに支配されることは、やめました。なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために』
と記しています。
病気の色だけに支配されるのではなく、出来ないことに支配されるのではなく、自分自身として生きていく。
老いに支配されるのではなく、自分の人生を生きていく。
それは年老いても、人生でどんな大きな問題や障害があったとしても、それらは自分の中のひとつの色であるというだけのこと。
ひとつの色の支配されるのではなく、自分として生きていこう。
恐れることはないんだよ、という心強いメッセージです。
また、バガボンド36巻に
「どこであれ、それがいつであれ、死ぬことは決められている。残された時間がある。どうあるかは自由」
「俺が俺らしく、手足がなくても残るはず、それは。俺は何だ」
と、主人公である武蔵が考える一節があります。
僕はもともと出来の良い、優秀な人間ではありません。
どちらかというとアホです。
丸出しの方のアホです。
頭もアッパッパーですし、自分の良くないところもたくさん目に付きます。
無駄に年をとっているだけで、現時点で既に僕より年下で優秀な人達はゴマンといます。
これから更に年をとって、モーロクしてポンコツになっていって、今出来ていることすらできなくなっていくことでしょう。
その時、大切なのは「受け入れること」ができるかどうかだと思います。
誰のせいとか、誰と比べてとか、そういうことではなく。
自分を受け入れて、認めること。
そして「どうありたいか」を考えること。
そうしないと、今後どんどん年寄りになっていったとき、何もかもを周りのせいにして、自分を守っているつもりで自分を認めず、受け入れず、省みず、自分自身から目をそむけて、自分で自分を嫌う最悪のポンコツジジイに成り下がります。
金も地位も名誉(もともとないですけど)も、若さもなくなり、体を病に蝕まれてもなお変わらないもの。
自分自身の全てを受け入れて、その上でどんな人間でありたいのかという芯を持つ。
それはまさにバガボンドで言われている「手足を失っても残るもの」なのではないでしょうか。
吉岡一門以下70人を斬り伏せ天下無双と謳われた武蔵は、とある寒村の中の父を亡くした子供=伊織の家にたどり着きます。
水害のある土地柄に加え、イナゴによる飢饉でやせ細った村。
そんな絶望的な状況でも、諦めずに田畑を耕し続ける武蔵。
そんな武蔵の姿を見て、「強い人だ。助けてくれ」と村人は言います。
しかし武蔵は「よくもそうやすやすと他人の軍門に降るものだ」とはねのけ「やりたいからやってんだ」と黙々と田畑を耕します。
しかし、そんな武蔵も「食べ物がない」という現実には勝てず倒れてしまいます。
武蔵も人間。
カロリーには勝てなかったよ……。
目を覚ました時、武蔵は伊織の家に運ばれ、布団に寝かされていることに気づきます。
隙間風吹く伊織の家の壁を修繕する村人。
「これを飲め」と僅かながらの食べ物を持ってきてくれる村人。
「助けて」とは言わずとも、自分は色々な人に助けられ、生かされているのではないか。
一人ではないのではないかと考え出します。
そしていよいよ村の食べ物が尽き、全くなくなります。
もうほんと、木の皮とか食べたりしたけどそれすらもなくなるレベル。
食べ物のオーバーキル状態。
武蔵一人だけならこの村を出ていけば済む話。
しかしここには残された村人がいる。
子供がいる。
そんな時、自分が取るべき行動は何か。
武蔵は考えます。
「どうありたいか」
武蔵は小倉城城主・細川忠利から、細川家剣道指南役に迎え入れたいという話を受けていました。
一度は断った話ですが、自分が指南役の話を受ければ当面の食料は工面してくれるはず。
悩んだ末に、武蔵は受け入れました。
飢饉に見舞われている村人たちを助けたい。
自分が頭を下げるだけで大勢の人達を助けられるという現実を受け入れて、小倉の使いである長岡佐渡守に「助けてくれ」と懇願します。
これは勝負の世界では「負け」であり、降参と同義です。
武蔵の言葉で言えば「軍門に下る」ということです。
しかし、武蔵は「自分がどうありたいか」ということを受け入れて、その芯に従って行動をしました。
いつ死ぬかは決められている。
その間、どうあるかは自由。
自分の芯を裏切らず。
自分がどうありたいか。
小林真央さんの
『病気の色だけに支配されることは、やめました。なりたい自分になる』
バガボンドの
『俺が俺らしく、手足がなくても残るはず、それは。俺は何だ』
この2つの言葉から、自分自身の「80歳の頃」を考えてみました。
なにものにも囚われることなく、なにもなくなっても残る「自分」とは。
武蔵の場合は「強さ」と「優しさ」でした。
僕は現状強くも優しくもなれていませんが、せめて「人に感謝できる人間でありたいなあ」と思います。
自分を取り巻くもの全て、それは周りの人達はもちろんのこと、病や老いにも感謝できるような人間になれれば、80歳の頃になっても何も怖くないのではないかなあと思うのであります。
どんな時も、感謝を忘れずに生きていく。
それが僕の「80歳の頃の自分」でありたいと考えています。
ということで#3000文字チャレンジでした!
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全然まったく違う人間が書いてるんじゃねえかってくらい恐ろしいほどに毛色の違う前回の3000文字チャレンジ「ひまつぶし」の記事はこちらです。
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