陰キャを脱するには思考を変えるだけ【他には何もいらない】
こんにちは、たくろうです。
僕はネガティブな人間です。
つまらないことに思い悩み、ウジウジウジウジと考え込み、やっと記憶から少し薄れたかなと思った頃にまたその悩みがフラッシュバック。
内向的で人見知り。どうせ自分なんかと自己評価が低いくせに他人を妬む。
控えめに言ってゴミのような陰キャです。
と、こんなふうに自分のことを卑下するのは疲れます。
そして読んでいる人も楽しいものではありません。まあ、ワンチャンで共感を得られる、「あっ、あたしと一緒! わかりみがマリアナ海溝より深すぎて息できなくて死んじゃう! 抱いて!」みたいな人がいないとも限らないですけど、基本的には見たくない人間の負の部分です。
「自分が疲れるだけなんだからこんな風に考えなきゃいいのに」と思うでしょ。
僕もそう思います。
だから考え方を変えました。
考え方を変えると、まあ人生わりと生きやすくというか、無駄に疲れることがなくなります。
そりゃ自分を自分自身で24時間言葉責めしているような状況が変わったわけですからね。
この一文だけで考え方を変えることがどれだけメリットがあるか、疲れなくなるかがわかっていただけると思います。
結論は「他人を気にするなんて馬鹿らしい」です。
今回は、僕と同じように自分自身の考えに縛られ、疲れて、また自己嫌悪のスパイラルにハマってしまっている陰キャに向けて陰キャを脱するための記事を書いてみました。
陰キャを脱するには思考を変えるだけ
実は陰キャを脱するのに必要なものは何もありません。
ただ、自分の考え・思考を少し変えるだけ。
変えるというか、諦めるというか、見方を変えるというか、とても簡単なことです。
陰キャは他人を気にしすぎ、内罰的すぎる
陰キャが陰キャである理由は、とどのつまり他人を気にしすぎている、内罰的だということだと思います。
他人の目を気にして、自分がどう思われているのかを常に気にしてしまう。
「みんな自分を笑っているんじゃないか」
「みんな自分をバカにしているんじゃないか」
そんな風に考えてしまいがちです。
しかし実際はそんなことは全くありません。
というか、実際本当のところ、他人を気にする必要は全くないんです。
だって、本当に他人が自分のことをバカにしているかどうかなんてわからないから。
そしていつも
「自分なんて」
「自分のせいで」
と自分を責めてしまいがちです。
わかります。その気持本当によくわかります。
でも、そんな風に考える必要はないです。
常に内罰的に考えているので思考がもうそちらに向くようになってしまっているんですよね。
そしてその考え方は危険で、「自分が悪いんだからしょうがない」という思考停止とも取れます。
また、少し視点をズラすと「自分のせいで」何かが変わるほどの力を持っているつもりなの? という傲慢な考え方にも取れます。
僕らには「自分のせいで」周りの何かを変えるような力はありません。
だからこそ、過度に自分を責める必要はないんです。
ファッション・笑顔・姿勢はただのツール
「陰キャを脱するために必要なもの」として、ファッション・表情を明るく、笑顔に・姿勢良くなどがよく挙げられます。
しかし、それらはツールです。
陰キャを脱するために必要なのかと言われれば、僕はNOだと思います。
もちろん、前向きになるために「ファッションに気を使ってみよう」とか、まずは「1日1回鏡の前で笑顔を作る練習をしてみよう」「姿勢を正してみよう」と取り組んでみるのは良いと思います。実際女性なんかはオシャレをしたり、メイクを勉強することで自分に自信がつき、前向きな思考が持てたという方もいらっしゃると思います。
ただ、
「陰キャを脱するためにオシャレをしなきゃ……。ああまず服を買いに行く服がない」
とか
「オシャレをしたいけどよくわからなくて適当に買ってみたら絶望的に似合わなかった」
となって、結果
「やっぱり陰キャは世間と交わってはいけなかった……。辛い」
となるくらいなら、そんなものは必要ないです。
「鏡の前で笑顔の練習」くらいならお金もかかりませんし、表情筋を動かすことで顔がシュッとする効果も見込めるのでやってみても良いかと思いますが、基本的には必要なものは「思考を変えること」だけです。
思考を変えよう:他人を気にするなんて馬鹿らしい
他人を気にしてばかりいて、疲弊して、人生イヤになるとか馬鹿らしくないですか。
「お前本当キモいな!」
なんて言われても
「ふーん、そうなんだ。お前ん中ではな」
程度に考えて良いんじゃないですか。
究極、他人が本当のところ何を考えているかなんて知りようがないわけですよ。
何を言ってこようが、本心から言ってるのかなんてわからない。
つまり、何を言われようが自分が好きに解釈してしまって良いと思うんです。
好き勝手生きて良いと思うんです。
ファッションだって、究極他人の目なわけですよ。
流行だって結局他人の目です。
インフルエンサーとかになりたいなら他人の目を気にする必要はありますが、それを気にすることで生きにくい人生を送る必要なんて微塵もないわけです。
他人を気にするということは、ある種他人への期待をしているわけです。
オシャレになれば自分を気にしてくれるんじゃないか。陰キャを脱すれば自分も……と。
しかし、良くも悪くも他人は僕らのことを気にしていません。そのへんの小石と同じ程度に見ています。
オシャレになろうが、死のうが生きようが、結局石です。
他人へ期待するのは一旦諦めましょう。
過ぎたことはどうしようもない
過去にした失敗がフラッシュバックして死にたくなったり、長い時間をかけてウジウジ悩んでしまいがちなのも陰キャです。
しかし、これも究極過ぎたことはもうどうしようもないわけです。
取り返しがつかない。
陰キャはこの「取り返しがつかない【だから】悩む」という習性があります。
いつまでも「あのときこうしていれば今はこんなじゃなかったはず……」といつまでも悩んでしまう。
でもそれはしょうがない。変えようがない。
月並みな言葉ですが「過去の過ちから学んで、今を生きる」しかありません。
考えてもしょうがないことは考えないようにすると、生きるのが断然楽になります。
陰キャを脱するにあたり、難しいのは実感を伴って理解できるかどうかだけ
ここまでべらべらと陰キャが書いてきましたが、どうでしたでしょうか。
実際、どこかで聞いたようなことばかりじゃなかったですか?
- 他人は何を考えているか本心はわからないから過度に気にすることはない
- 過去は変えられない。悩んでもしょうがないから気にしない。
「そんなことわかってるんだよ!」と思ってしまうのではないでしょうか。
そのとおり。
こんなもの、少し考えればわかることです。
しかし、僕はこのような考えに触れることで多少は生きやすくなりました。
僕と「そんなことわかってるんだよ!」という方との違いは、実感を伴って理解できるかどうかだけです。
「おー、この人良いこというなあ! 実践してみるか!」と思える情報と出会えるかどうか。
この記事でそう思えなかったという方もいらっしゃることでしょう。
「ふーん、あっそ」くらいにしか感じなかった方もいらっしゃると思います。
それはもちろん僕の文章力が足りないということもあるのですが、書き方の相性もあると思います。
繰り返しますが、実感を伴って理解ができなければ、陰キャを脱することもできませんし、悩みを解決することもできません。
なので、「今陰キャで辛い」という方、「悩みを解決したい」と思う方はたくさんの情報に触れてほしいのです。
たくさんの情報に触れていると、相性の良い文章にも出会える確率が高まります。
辛くなければ陰キャでもいいじゃないか
最後の最後で覆しますけど、僕は別に辛くなければ陰キャでいいじゃないかと考えています。
僕は自己嫌悪やウジウジ悩んでしまって辛いからその解決方法を求めただけで、基本的にはまだ陰キャの部類です。
ウェイウェイいうのは苦手ですし、人見知りですし、引きこもるのが大好きです。ついでにいうと狭いところも大好きです。他人とご飯食べるのが苦手です。
しかし、「他人を気にしなくていい」と考えているので、ある程度楽に生きれています。
陰キャを治さなきゃ幸せになれないとかそんなことは微塵もないと思っています。
ウジウジ悩んでしまうのだって、思慮深いとか粘り強いとか言いかえることができますし、他人を気にしてしまうのだって、気遣いができると言い換えられます。
本当に、要は自分が辛いかどうかです。
自分の人生なんですから、辛いより楽しいほうが良いじゃないですかってだけの話です。
それだけでした。