また僕の中の常識が揺らいでる

常識とはなんだろうか。

こうきかれれば、大体の人が「社会を構成する一般的な共通認識」というような回答を持つのではないでしょうか。

りんごを放れば地面に落ちるだとか、光を超える速度を持つものは存在しないとかそういった地球の法則的なことから、人に優しくしましょうねだとか、人に迷惑をかけてはいけませんといった社会のルール的なこと、これらが大きく「常識」というひとくくりになるのでしょう。

対して、ビジネスの場では「常識を疑え」という言葉をよく耳にします。
既定の概念を覆すような新しい発想をしましょうね、そして金を稼ぎましょうねということですね。

ビジネスにおいて常識を疑うのは、それが利益につながる発想を得られるというメリットがあります。
しかし、常日頃から常識を疑っていたのではただ疲労困憊してしまうだけで、メリットはあまりありません。

しかし最近、自分の常識が他人に通用しないんじゃないかと考えることが多くなりました。
僕の中の常識が揺らいでいるんです。ミスチルか僕かってレベルで常識が揺らいでいるんです。

月日が経つのは早いもので、僕も完膚なきまでにおっさん、完全なるアラフォーとなりました。そうなってくると若い人との会話が通じないことが多くなってきます。
ジェネレーションギャップってやつですね。

僕としてはこれは常識、言わなくてもわかるだろレベルの話が、新卒なんかには通じなかったりするわけです。
逆に新卒からしたら「このおっさんこんなこともわからねーの? ていうか何言ってるかわかんねーんだけど。マジ年はとりたくねーわー」と感じることがあることでしょう。

まじ卍とか言われても、こっちからしたらイマイチ何を言いたいのかわからないもんね。
え? 饅頭たべたいの? とか訊きそうになる。耳すら悪くなってきたのかなってレベル。

こんな感じで僕の中の常識が揺らいでいるのを感じるんです。

例えば、僕らの世代ではセーラームーンは常識でした。
セーラー戦士のなかで一番かわいいのは誰なのかという話で殴り合いのケンカにまで発展する。やっぱり男は黙ってマーキュリーだよね。そんな時代でした。
セーラームーンを知らない人は絶対にいない。セーラームーンを知らないやつは人間に非ず。人智を解さぬ獣なり。

しかし、現在はどうなんでしょうか。
もしかしたらセーラームーンを知らないって人もいるんじゃないでしょうか。
え? 知らない? 人智を解さぬ獣なり。

じゃあアレだ。
レイアースはどうだ。

レイアースというのはCLAMPという作家集団が描いた漫画で、中学2年生の光・海・風の3人の少女がエメロード姫によって異世界セフィーロに召喚され、悪の権化ザガートによって囚えられたエメロード姫の救出に向かうというお話です。
セフィーロは「柱」と呼ばれるエメロード姫の人々への愛と祈りによって小鳥がさえずり動物が遊び木々生い茂る美しく平和な世界を保っていたのですが、エメロード姫がザガートに拘束されたことによって魔物どもが我が物顔で跳梁跋扈の百鬼夜行の河原でBBQをカマす荒廃とした世界へと変貌してしまいました。なんたることか。世界を混沌へと導く悪の百貨店ザガート、マジ卍許すまじマジ討ち取るべし。ということでセフィーロを救うために伝説の魔法騎士となった光・海・風の3人は魔法の力や伝説の武器や伝説の魔神(乗り物)を得て幾多の困難を乗り越えたりなんやかんやしたりしてついにザガートを倒します。やったぜ! と思うのも束の間、救出したエメロード姫がマジギレ。激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームとなって光達に襲いかかります。は? 意味わからないんですけど。異世界まで来てストックホルム症候群とかマジウケるー。とか言っていると、エメロード姫(良心)が「……聞こえますか……私は……今……あなた達の頭の中に……直接……呼びかけています……」と光達に呼びかけます。曰く「ザガートは悪くない。私はセフィーロの『柱』としてこの世界の万物を等しく愛し祈る定めを負った者。しかし私はザガートというたった1人の男を愛してしまった。そのためにセフィーロのすべてを等しく愛することができなくなってしまった。そのためにこの世界は荒廃してしまったのだ。セフィーロを救うためには『柱』として機能できなくなった私が死ぬしか無い。しかし私は自ら命を断つことを許されておらず、この世界の誰も私を殺すことができない。私の命を奪えるのは異世界からの使者である『伝説の魔法騎士』のあなた達だけなのだ。そのためにあなた達を召喚したのだ。ザガートは私を守るためにあなた達を遠ざけていた。愛するザガートを殺された復讐心にかられた私は、このままではあなた達を殺し、セフィーロを崩壊させてしまう。そうなってはいけない。どうか……私を殺してほしい。この……世界を……壊してしまう……前に……どうか……私を……コロシテ……」そんな! ひとりの人間としてただ人を愛しただけの女性を殺すことなんてできないよ! ダメだ! うわあああああああああああエメロード姫ええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! ズガーン!!!

という超絶に悲痛な物語であるレイアースはどうだ。
え? 知らない? そうですか。

じゃあどうだ、きんぎょ注意報はどうだ。
え? そうですね、知りませんよね。はいはいごめんなさいね。

じゃあこれだ、あだち充は知ってるでしょ。
言わずと知れた「タッチ」や「H2」といった漫画の作者、あだち充は知ってるでしょ。
ほらね、知ってるでしょ。ね?

でもね、逆にね、今度は僕があだち充を知らないわけなんです。
え? ウソでしょ? あだち充とか常識でしょ。って感じだと思うんですけど、マジで知らない。

いや知らないというか、名前はもちろん存じ上げておりますよ。
漫画界の御大。野球漫画の大御所であるあだち充さんの存在はもちろんながら存じております。
でも正直、あだち充の描いている漫画を読んだことがない。
タッチもH2もみゆきも読んだことがない。

だもんで、単純に「あだち充」ときくと「キャラがみんな同じ顔の漫画を描く人」という認識しかないんです。めちゃくちゃ失礼。失礼of失礼。

しかしですね、逆にここで発想を逆転して、常識を疑ってみるのはどうでしょうか。
すなわち、あだち充の描くキャラがみんな同じ顔なのは、あだち充にはそれが常識だからなんだと。
あだち充には世界がそのように見えているのだと考えてみてるのはどうでしょうか。

例えば「2匹の象を描いて」と言われて、2匹の象の顔を描き分ける人はほとんどいないと思います。
象だと認識できる、鼻の長い動物を2匹描くだけでしょう。
というか僕らからしたら象の顔の見分けなんてほとんどできない。
「こっちがハナコでこっちがタロウだよ」とか言われて象の顔写真見せられても、多分見分けられない。

象からしたら「は? 全然違うんですけど。ハナコの方が全然エモいんですけど」って話だろうと思いますが、僕らからしたら申し訳ないけど全部同じに見えるわけです。

つまり、あだち充にとっての人間の顔は、僕らにとっての象の顔と同じことなんじゃないだろうかと。すべての人間が同じ顔に見えているんじゃないだろうかと。
「こっちが南ちゃんでこっちがタッちゃんだよ」とか言われても見分けられないんじゃないだろうかと。
まあこれは本当に同じ顔に描かれているからマジで見分けられないけど。
あっ、また失礼なことを言ってしまった。

こう考えると、常識なんてものは人それぞれ違うんだなあと。
僕の常識なんてものはすごくちっぽけで、何の意味も成さないものなんだなあと思えてくるんです。
若い人の常識とも違うし、あだち充の常識とも違う。
僕の中の常識が揺らぎまくり。

僕は介護職として働いているんですが、こんなことを言ってしまうと介護士としての倫理観が欠如してる! とか言われそうなんですが、まあ介護現場って常識が通用しないんですよ。

夜になってもほとんど眠らず、さりとて日中もさして眠るわけではない明石家さんまかなって感じの利用者さんもいますし、15分おきにトイレに行かせろと鬼コールしてくる利用者さんもいます。
毎晩決まって「地震が起きたらどうしたらいいの?」と聞いてくる利用者さんもいますし、毎晩決まって「部屋の鍵は掛けておいたほうがいいの?」と聞いてくる利用者さんもいます。

これって完全に常識が通用してないじゃないですか。
完全に世の理から外れてるじゃないですか。

いや、もちろんこれらすべてに菩薩のような笑みで対応しますよ。にこやかに優しく、親身になって、目の奥が笑っていない菩薩のような笑みで対応します。
仏のような慈悲に満ち溢れた対応をします。
しかしもはやここには常識という概念が存在しない。
分裂しそうなんだ抗うつ剤をちょうだいって言うしかない。

また、認知症状が強く、自分の状況をよく理解していない利用者さんも多数いらっしゃいます。
特に「自分が歩けないことを理解していない」けど「ある程度動けてしまう」という利用者さんはベッドからの転落などの危険があるため、センサーマットと呼ばれるタッチセンサーのようなものが導入されています。
これはセンサーとしてベッド下の足元に設置し、利用者さんが立ち上がるためにこのマットを踏みしめたら介護士にナースコールが来るようになっているものと、ベッドのシーツ下に設置し背中の圧が無くなった=利用者さんの上体が起き上がったら介護士にナースコールが来るようになっているものがあります。

つまり、センサーマットが設置されている利用者さんからナースコールが来た=転落や転倒の危険性があるため、すぐに駆けつけなければいけないんです。

これがまたすげー厄介なんです。

ただ1人の利用者さんをみているのであれば別に問題はないんですがそんなわけはなく、20~30人の利用者さんをみつつ、そのセンサーマットの利用者さんに注意を払わなければならないわけです。

コールが鳴ったらすぐ行く。
何をおいてもとりあえず行く。

これは思った以上に介護士の心を蝕みます。

しかしまあ入居型介護施設の考え方として「居室の中で転倒されたとしてもある程度はしょうがない」というものがあるんですよね。
つまり「転倒しないように居室内の整備はしっかりとするけれど、自分である程度動く人が部屋の中で転んだってことまでは責任持てないっすわ」ということです。

とは言えコールで呼ばれた先で転んでるのを発見しても目覚めが悪いんで、ある程度急いでは行くわけです。
急いで行くわけですが、行ったところで認知症状が強めの方は、まあ何言ってるかわからないんですわ。

「トイレ」とかの要望がハッキリしてればまだ良いんですが、いや、良いんですがとは言いますけどさすがに15分おきにトイレとか言われるとこちらとしても奥歯をキリリと噛み締めてしまうんですが、要望や訴えがはっきりしない場合はマジで意味がわからない。

「アレがこうなって……iesrftgyhuji(聞き取れない)だろ? だからvbjkl:;(聞き取れない)でuvbn;m(聞き取れない)な!?」

とか言われても「は?」って言うしか無い。
もしくは「あqwせdrftgyふじこlp;」って言うしか無い。

まず「アレ」ってなんだってとこから聞き出したいんですが「それはもう、ハハハ、ねぇ……そうでえすかぁ……」とか言ってくる。なんかよくわからないけど納得される。

もう完全に僕の常識は通用しない。
もう揺らいでいるとかそういうレベルじゃなく、常識は通用しない。

先日の夜中も、そんな認知症状の強い利用者さんのセンサーコールが鳴り、急いで駆けつけたんです。
そうしたらその利用者さんはベッドの端に座っていて、僕を認めると満面の笑みで「おぉお! よく来たなあ!」とか言うんです。
普段は、虚ろな感じで「きみは誰だい?」みたいな顔するか、「なんだぁこのォ!」って感じで不機嫌かどちらかなんですが、めちゃくちゃ笑顔でテンション高めに迎え入れてくれたんです。

なんだこの熱烈な歓迎は、新しいパターンだなと思いながら近づいて「どうしましたか?」と声を掛けると

「どうしましたかじゃないんだよぉ! たまには『お父さん!』って胸に飛び込んでこい!」

もう完全にあだち充現象ですよ。
完全に顔の見分けがついてない。

完全無欠に僕を息子か何かと勘違いしますよ。
なんならこの人ちょっと泣きそうになってますよ。
めっちゃ腕広げて「ここやで」ポーズしてますよ。

菩薩の僕も流石に胸に飛び込むことはできず、「お父さん、僕いま仕事中だからね、また来るから少し横になって休んでてね」と背中をポンポンと叩いてなだめておきました。

すると「そうかぁ、仕事かぁ……頑張ってるんだなあ」とか言いながらいつになく素直に横になってくれました。
部屋を出ながら、訳のわからないことを言われるよりはこのあだち充パターンの方が良いなとか思っちゃった。
毎回この感じで熱烈歓迎してくれないかな。

まあその後またすぐセンサーコールが鳴って行ったら、あだち充が完全に抜けてて「アレがfdtrgyhuj(聞き取れない)」とか言われたんですけどね。
あだち充出てきてくれねぇかなぁと思いながら「すんません、アレって何すか?」ってきいたら「xcfvgbhnlkjl,gm(聞き取れない)」って言われました。

本当、常識ってなんなんだろう。
この仕事を始めてから常識を疑いっぱなしですわ。

もうずっと、僕の中の常識が揺らいでるわけです。
介護の常識なんて知らなきゃよかったって思うことばっかり。

そしていつしか慣れるんだ
当たり前のものとして受け入れるんだ

 

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